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名作をYoutubeで聴く(79) 日本の詩歌から高村光太郎、北原白秋を聴く

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 今日の名作をYoutubeで聴くは日本の詩歌から、代表する高村光太郎と北原白秋の作品をYoutubeで二人の作品を検索して聴いてみることにします。高村光太郎と北原白秋は名前こそ聴いたことがあり、子供の時代に教科書に出てきた記憶が有る程度でブログを書くにあたり、全く未知の分野だけに、どう纏めるか、考えましたが、この朗読フォームで纏めてみました。  手許にはCD文庫として、近くの図書館で借りた、それぞれ、1点だけでしたが、この機会に聴いてみるのもいいと思い採りあげることとします。Youtubeで検索した結果は高村光太郎の方はいくつか詩集の朗読がみつかりましたが、北原白秋の方は詩集より、歌集が数多くみつかりましたので、特集のアルバムをいくつか選んでみました。いずれも聴き覚えのある、童謡が愉しむことができます。  先ず、高村光太郎についてはウキペデアでは「1945年8月17日、「一億の号泣」を『朝日新聞』に発表。終戦後の同年10月、花巻郊外の稗貫郡太田村山口(現在は花巻市)に粗末な小屋を建てて移り住み、ここで7年間独居自炊の生活を送る。これは戦争中に多くの戦争協力詩を作ったことへの自省の念から出た行動であった。この小屋は現在も「高村山荘」として保存公開され、近隣には「高村記念館」がある。」とありました、  又「1950年(昭和25年)、戦後に書かれた詩を収録した詩集『典型』を出版。翌年に第2回読売文学賞を受賞。1952年(昭和27年)、青森県より十和田湖畔に建立する記念碑の作成を委嘱され、これを機に小屋を出て東京都中野区桃園町(現・東京都中野区中野三丁目)のアトリエに転居し、記念碑の塑像(裸婦像)を制作。この像は「乙女の像」として翌年完成した。」ともあります。  次に北原白秋については「 明治18年1月25日、福岡県山門(やまと)郡沖端村(現柳川(やながわ)市)に生まれた。生家は海産物問屋や酒造業を営む旧家で、水郷の自然と風物が幼少年期に豊かな感受性を育てた。県立中学伝習館時代に『文庫』に短歌や詩を投稿。1904年(明治37)伝習館卒業まぎわに中途退学し、早稲田(わせだ)大学高等予科に入学する。長編詩「林下の黙想」が河井酔茗(すいめい)の激賞を得、また『早稲田学報』の懸賞詩に「全都覚醒賦(かくせいふ)」が入選し、『文庫』に掲載される。」とあります。  又「1906...

続自由時間のクラシック〔599〕名VnニストのAugustin Dumayを聴く

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 今日の続自由時間のクラシックは何故、巨匠に列せられないのが、不思議な位実力ある、Vnにストの「 Augustin Dumay 」のアルバムをいくつか聴いてみることにします。演奏者の中には自己主張の強い人が多いですが、この人はグリュミオーを師とし、演奏以外も多くを学んだことで知られるVnにストです。関西フイルで指揮もされています。今日はVnにストとしてのアルバムをYoutubeで検索し、聴いてみます。  世界的に有名な演奏家が弾く曲はいずれも、名曲に値しますので、有名演奏家の曲をたどると、名曲に行き着くといわれています。この人の場合も、いくつか、該当しない曲、弾いていない曲(録音していない)もありますが、先ず、名曲は揃います。手許は13点ほど収集していますが、指南書でも数多く推されていますので、お勧めに従い、Youtubeで検索すると、数多くみつかりました。最近の4Kの画像も見ることができそうです。結果は下のリストですが、まだまだ、ある様です。是非追加検索ください。  「人となり」をいくつかピックアップしますと「3歳でヴァイオリンを始める。両親につれられて聴きにいったナタン・ミルシテインの演奏会がきっかけだったという。10歳でパリ音楽院に入学。13歳で卒業するという神童ぶりを発揮した。14歳で、モントルー音楽祭でリサイタルを開く。このリサイタルをシェリングとシゲティが聴いて高く評価する。その後シェリングに推薦され、南米ツアーにいく。シェリングは自分が代役を依頼されたが都合が付かず、デュメイを推薦したという。帰国後、デュメイはミルシテインへの師事を許され、さらにアルテュール・グリュミオーのもとで4年間師事する。グリュミオーにはヴァイオリンばかりでなく、芸術一般についても多くのものを学んだという」と有ります。  又「デュメイによると、14歳でソリストとして評価されながら、ミルシテイン、グリュミオーのもとで学んだことにより、一つの作品にじっくりと取り組む姿勢を叩き込まれ、それが自分の大きな財産になっているという。以後は、 コンクールを経ずに評価を高めていった希有な演奏家 である。ヘルベルト・フォン・カラヤンには絶賛され、1979年にカラヤンがパリで開いた特別祝賀コンサートに招かれ共演している。」と有りました。  今日は数多いリストから、手許にある、フランク、ドビュ...

続自由時間のクラシック〔598〕名ピアニストのIvo Pogorelichを聴く

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   今日の続自由時間のクラシックはセルヴィア出身の個性的な名ピアニストで知られる「 Ivo Pogorelich 」のアルバムをいくつか選んで聴いてみることにします。「 Ivo Pogorelich 」についてはショパンコンクールで、実力を高く評価した、審査員の「アルゲリッチ」が他の審査員が落選させたことに怒り、その後、20年間、審査員を断ったという「ポゴレリチ」事件があります。落選した本人ですが、世界中に知れ渡り、次つぎと演奏依頼が舞い込み、時代の寵児となったそうです。  レコ芸500シリーズでもショパンを中心に10点も推薦されています。手許には12点も集めておりますが、最近の演奏アルバムは全くない様で、リストの追加をかねて、Youtubeで検索しました。結果は下の通りで、昨日の「ルイサダ」と異なり、かなりのアルバムが投稿されており、大満足でした。本人とレコード会社の話し合いで、決められるのでしょうか、通常は意向に沿わなければ、削除されることもあるようです。  いつもの様に「人となり」をいくつかピックアップしますと「ユーゴスラヴィア(当時)の首都ベオグラード生まれ。22歳であった1980年に、 師事していた43歳の女流ピアニスト 、アリザ・ケゼラーゼ(英語版)と 結婚し たり、 作曲家が弱音と指定している箇所を強打 するなど、私生活・ピアノ演奏の双方で型破りなことで知られる。現在はスイスに在住。レパートリーはショパン、ラヴェル、シューマン、ベートーヴェン、リスト、スクリャービン、プロコフィエフ、バッハ、スカルラッティ等であり幅広い。 現代音楽は一切手掛けない としている。」とありました。ユニークな私生活と演奏法は有ったとのことです。  又「12歳からモスクワの中央音楽学校で、その後はチャイコフスキー音楽院で勉強を続けた。1976年からは著名なピアニストで教育者のアリス・ケゼラーゼに師事。数々の国際コンクールでの優勝に続き、1980年のショパン国際コンクールで、本選を前に彼を落選させたことについての論争とそれに抗議して帰国してしまった審査員のひとり、マルタ・アルゲリッチの「 だって彼は天才よ !」という言葉によってポゴレリッチは一躍脚光を呼び、たちまち世界的に名を知られることになった。」ともありります。さらに「 1996年2月16日、妻のアリザ・ケゼラーゼ...

続自由時間のクラシック〔597〕名ピアニストのJean-Marc Luisadaを聴く

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  今日の続自由時間のクラシックはチュニジア出身で、フランスに移住したショパン弾きで、有名な「 Jean-Marc Luisada 」のアルバムをいくつか選んで聴いてみることにします。Youtubeではルイサダ教授の講習会(仏語で講義)のアルバムは数多く、揃っているのですが、実際に楽曲を視聴できるアルバムは限定された結果となりました。  珍しいケースでこのクラスのピアニストですと、積極的にPRするはずですが、著作権の関係で、Youtubeに投稿されている、アルバム数が、非常に少なく、検索とリストアップに時間を要しました。結果的には手許のアルバムの方が多い様でした。それでも、何とかトピックスも活用して、検索してみました。結果は下の表の通りでした。  検索結果では指南書の推すアルバムは不充分ですが、手許と合わせると、何とか揃った様です。近くCDショップでの 購入 や、図書館でも借りることができるはずです。ショパンのお好きな方は是非、リストを揃えてはいかがでしょうか。  「人となり」をいくつかピックアップしますと、「ソリストとして独り立ちするため、コンクールに挑戦する日々が続く、1983年(出典によっては1980年)にはイタリアのミラノ、スカラ座で開かれた若手ピアニストのためのディーノ・チアーニ記念コンクールで2等賞を受賞した。おおむね5年ごとにワルシャワで開催されるショパン国際ピアノコンクールには、1980年(第10回)と1985年(第11回)の2回、挑戦している。22歳で挑んだ1980年のコンクールは不本意な成績で終わった。ルイサダ自身の言葉によると「そのときの話はしないで。もう忘れたい、おぞましい記憶なんだから(笑)」とのことである。 「当時はまじめな風貌で没個性的であり、演奏もまた没個性的であったというのが後の自己評価である。ルイサダはまず、外見から自分を変えることを始め、猛練習を積み重ねた。1985年の ショパン・コンクールでは5位 に入賞した。」とあり、ルイサダはショパンコンクールでは優勝したピアニストではない様でした。  日本にも何度かこられており、「1984年に初めて日本を訪れた。ルイサダは、このときの異文化体験が自身にとって革命的な出来事であり、自己を劇的に変革するきっかけになったとしている。」と有りました。2020年にも来日を予定されていました...

続自由時間のクラシック〔596〕名指揮者のEsa-Pekka Salonenを聴く

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  今日の続自由時間のクラシックは若手指揮者として、人気と実力を備えている、北欧のフインランド出身の指揮者の「 Esa-Pekka Salonen 」のアルバムをいくつか選んで聴いてみることにします。不思議な事にレコ芸500では、北欧のシベリウスの交響曲は5番のみで、Vn協奏曲が推されているだけでした。プロの評価では、シベリウスの交響曲はベルグンドという指揮者の独壇場の世界でしょうか。手許にも1枚もありませんでした。  しかし、Youtubeで検索すると、数多くのシベリウスの名曲が見つかります。指南書の推す、名曲・名盤を確認しながら、検索した結果を下に記します。これからも、益々、名指揮作品が出てきますので、将来、楽しみな注目の指揮者の一人です。  「人となりを」ピックアップしますと、「ヘルシンキ・シベリウス音楽院で、ホルン演奏と作曲を学ぶ。同級生の作曲家マグヌス・リンドベルイやサーリアホと実験音楽合奏団「トイミー」(Toimii、フィンランド語で「それは作用する」の意)を結成。その後、フランコ・ドナトーニとニコロ・カスティリオーニのもとで作曲の研鑽を積む。当初は作曲活動に専念したが、1983年に急遽ロンドンでマイケル・ティルソン・トーマスの代役としてフィルハーモニア管弦楽団のマーラー作曲交響曲第3番の公演を引き受けることとなり、指揮者としての経歴が開始された。その後も1985年から1994年までフ ィルハーモニア管弦楽団の首席客演指揮者 を務めてきた。」と有ります。作曲家を目指していたが、途中から指揮者に変更したそうです。  又「1985年から スウェーデン放送交響楽団 の首席指揮者に、また1984年にアメリカデビューを果たして以来、1991年から ロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督 に就任(首席指揮者と兼任)し、現代音楽の演奏と録音に献身してきた。 ヴィトルド・ルトスワフスキの交響曲第3番 の世界初録音は、1985年度グラモフォン賞(英語版)現代音楽部門最優秀録音に選ばれた。サロネンは、現代音楽だけでなく、シベリウスやニールセン、ラーションなどの、20世紀前半から中頃に活躍した北欧の作曲家の紹介にも取り組んでいる。」ともありました。  さらに「サロネンは、2020/21のシーズンまでフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者を務め、桂冠指揮者(英: C...