京都撮り歩き(68a)山科の毘沙門堂、山科聖天を巡る
今日の京都撮り歩きは山科の毘沙門堂門跡、山科聖天を巡ってみます。JR線山科駅、地下鉄東西線の山科駅から、少し、山手方向に15分ほどで、山科随一の古刹、毘沙門堂門跡にたどり着きます。京都七福神で有名です。京都以外の人に余り知られていませんが、枝垂れ桜、紅葉の穴場の一つでいい被写体が数多い、お勧めの場所です。
京都駅から時間的にわずかですが、静かな世界が待っています。毘沙門堂の本堂にいたる参道、仁王門、勅使門、脇門に至る、石段も情緒があります。門跡寺院だけに、移設された、震殿、玄関、唐門などの設えは見事です。襖絵、庭園も見所の一つです。庭園の「晩翠園」は江戸時代の作庭ですが、夜の翡翠を思わせる山が迫る、仙境の静けさにある、素晴らしい池泉庭園で、新緑や紅葉の頃は特にお勧めです*
山科の地にこれほど立派な古刹があるとは思いませんでした。子院にあたる、山科聖天にも足を伸ばして、いかれてはいかがでしょうか。今回は先ず、奥の山科聖天を見てから、毘沙門堂門跡を訪れました。今日は紙面の関係で2社同時に提示しました。
*「京都名庭園」 水野克比古 著
今日の寺社データ
①毘沙門堂門跡
ブログ公開日
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2020/7/12
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登録番号
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京都撮り歩き(68a)
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場所名
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毘沙門堂
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魅力メモ ウキペデア
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毘沙門堂(びしゃもんどう)は、京都市山科区にある天台宗の寺院。山号は護法山。正式名は護法山安国院出雲寺。本尊は毘沙門天。天台宗京都五門跡の一つであり、山科毘沙門堂、毘沙門堂門跡とも呼ばれる。
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アクセス・連絡先
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地下鉄・JR「山科駅」下車、徒歩約15分
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行き先分類
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洛南の寺社
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エリア11
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山科周辺の寺社を歩く
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足を伸ばして一緒にいかが
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山科聖天
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追加エピソード
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江戸時代初頭の慶長年間(1596年 - 1615年)に至り、天台宗の僧で徳川家康の側近であった天海によって復興が開始された。江戸幕府は山科の安祥寺(9世紀創建の真言宗寺院)の寺領の一部を出雲寺に与え、現在地に移転・復興される。天海没後はその弟子の公海が引き継ぎ、寛文5年(1665年)に完成した。後西天皇の死後に御所から勅使門、霊殿、宸殿を拝領し毘沙門堂に移築している。
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鑑賞ポイント
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行事・特別公開
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お勧め建物
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本堂、震殿、玄関、鐘楼、仁王門、勅使門、薬医門など。
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特殊建物
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弁財堂
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お勧め文化財
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障壁画、仏像
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お勧め仏像
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毘沙門天立像
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お勧め絵画
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116面の障壁画 「九老之図」
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お勧め庭
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震殿前の庭園、晩翠園
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パワースポット
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花暦 花・時期
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枝垂れ桜
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京都観光NAVI
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護法山出雲寺と号する天台宗の門跡(もんぜき)寺院である。大宝3年(703)創建と伝え、延暦年間(782~805)伝教大師(でんぎょうたいし)が下出雲路(しもいずもじ)で自ら作った毘沙門天を安置して下出雲路寺と名づけ、天台宗をひろめたので、世人はこれを毘沙門堂と呼んだ。中世以降、たびかさなる戦乱で荒廃し、天正年間(1573~91)に織田信長の兵乱で堂宇を全焼した。慶長16年(1611)に天海僧正が後陽成天皇の勅命によって再興をはかり、中途で天海が亡くなったため、その高弟公海が遺志を継いで寛文5年(1665)に再建され、以来、代々法親王が入室されて毘沙門堂門跡と称された。本堂には伝教大師作の毘沙門天を本尊としてまつっている。
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その他情報1
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毘沙門堂門跡(びしゃもんどうもんぜき)は、京都市山科区にある天台宗の寺院で天台宗五門跡のひとつでもあります。京都山科の最北に位置し、静寂につつまれた美しい庭園があります。紅葉が非常に有名で紅葉時期には夜間拝観(ライトアップ)が実施され幻想的な空間を感じることができます。境内の勅使門に続く参道の敷き紅葉はまさに絶景です。
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その他情報2
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春は名高い桜の名所「毘沙門枝垂れ」「一目千両」とも呼ばれる宸殿前の樹齢150余年、高さ約10m・枝張り約30mのシダレザクラ「般若桜」や約40本の桜が境内を彩り、4月のはじめの日曜日には「山科毘沙門堂観桜会」が行われ、筝の演奏と共にお茶席(有料)が設けられます。もみじの名所としても名高く、夏には参道や境内は青もみじが色鮮やかにいきいきと映え、秋はもみじが色づき、紅葉すると境内は京都で一、二の見事な紅葉で染められて行きます。
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公的案内
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JR線路沿いから左に折れ、住宅街の緩やかな坂を登ると
毘沙門堂の参道入り口に至ります。左奥が山科聖天 |
参道の石段を登ると「仁王門」となります。本堂・震殿はこの奥にあります。
この門他、勅使門、薬医門もあり、いずれも石段を登る仕組み 見所詳細はスライドをご覧ください。 |
「弁天堂」です。本堂脇にあり、絵葉書の世界です。
撮影ポイントにお勧め
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「晩翠園」です。震殿前の池泉庭園です、しばし佇んでください。
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②山科聖天
スライド写真は省略します。
ブログ公開日
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2020/7/12
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登録番号
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京都撮り歩き(69)
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場所名
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山科聖天
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魅力メモ ウキペデア
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双林院は、1665年に創建された毘沙門堂の塔頭寺院。毘沙門堂を再興した公海によって創建され、本尊に大聖歓喜天を祀ることから「山科聖天」と呼ばれています。
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アクセス・連絡先
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地下鉄・JR「山科駅」下車、徒歩約15分
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行き先分類
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洛南の寺社
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エリア11
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山科周辺の寺社を歩く
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足を伸ばして一緒にいかが
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毘沙門堂・ 山科聖天
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追加エピソード
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境内は、静寂に包まれた紅葉の穴場となっており、隣接する毘沙門堂と同様に風情ある散り紅葉を楽しめます。
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鑑賞ポイント
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行事・特別公開
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お勧め建物
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特殊建物
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お勧め文化財
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お勧め仏像
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不動明王・阿弥陀仏、お滝不動
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お勧め絵画
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お勧め庭
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パワースポット
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夫婦和合、子授かり、財富
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花暦 花・時期
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京都観光NAVI
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本尊は、大聖歓喜天。1665年(寛文5)公海大僧正によって毘沙門堂とともに再建。聖天さんは、十一面観音と大日如来の化身の姿という。頭が象で、首から下は人間の姿。二体が向かい合って抱擁されていることから「男女合体神」「陰陽和合」を表わす。この像は厨子に納められ秘仏として拝まれており、直接お姿を見ることはできないが霊顕あらたな天尊である。本尊のほか70体近い歓喜天像を合祀している。ほかに、由緒めずらしい不動明王・阿弥陀仏はお姿を拝むことができる。建立:1665(寛文5)年 毘沙門堂門跡の山内寺院として建立
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その他情報1
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明治元年に「大聖歓喜天(だいしょうかんきてん)」を本尊とする聖天堂が建てられました。「大聖歓喜天」聖天さんは仏教の守護神で、十一面観音と大日如来の化身の姿をしており、頭が象、首から下は人間という、二体が向かい合って抱擁されている陰陽和合の「男女合体神」です。厨子に納められ、直接お姿を見ることはできない秘仏として拝まれています。
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その他情報2
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山門を入って正面の堂内で大護摩が焚けるという不動堂には、明治16年に比叡山無動寺より勧請された不動明王が安置されています。また、不動堂の右奥の崖下には、一本の清らかな滝が落ちています。右に石造りの「お滝不動」がお祀りされており、不動明王・阿弥陀仏のお姿を拝むことができます。
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公的案内
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