京都撮り歩き(76)東山山麓の金戒光明寺を巡る
今日の京都撮り歩きは東山山麓の金戒光明寺を巡ってみます。平安神宮を出て,丸太町通を東山方向に15分ほど歩くと、左側に岡崎別院が見えてきます。ここから、少し山道を登っていきますと、黒谷の金戒光明寺境内に入ることができます。この黒谷の名前の由来は法然が修行した延暦寺の黒谷から来ているようです。
墓地の入り口にお江(崇源院)・春日局の慰霊塔(宝篋印塔)があります。もう一人のヒロイン阿茶局のお墓(御影堂のそば)もこの金戒光明寺に有ります。徳川秀忠の菩提をともらう、三重塔(文殊塔)、もあり、この墓地群は丘陵地の日当たりの良い、南面に位置しており、境内から市内が一望できるお勧めのヴュウポイントです。三代家光擁立に暗躍したとされる、春日局の話は有名です。*
幕末にはこの寺に「会津藩松平容保」本陣がおかれ、ここから、新撰組に指示したようです。 法然が念仏修行した、本山の諸堂と塔頭のほとんどは非公開ですが、広大な敷地に立派な伽藍が並びます。
山門をくぐると、タイムスリップした空間が広がります。TVの撮影によく利用される場所で有名です。どうも、大急ぎで巡ったようで、公開日を狙って、塔頭も含め。もう1度訪れる必要があるようです。墓地の入り口にお江(崇源院)・春日局の慰霊塔(宝篋印塔)があります。もう一人のヒロイン阿茶局のお墓(御影堂のそば)もこの金戒光明寺に有ります。徳川秀忠の菩提をともらう、三重塔(文殊塔)、もあり、この墓地群は丘陵地の日当たりの良い、南面に位置しており、境内から市内が一望できるお勧めのヴュウポイントです。三代家光擁立に暗躍したとされる、春日局の話は有名です。*
幕末にはこの寺に「会津藩松平容保」本陣がおかれ、ここから、新撰組に指示したようです。 法然が念仏修行した、本山の諸堂と塔頭のほとんどは非公開ですが、広大な敷地に立派な伽藍が並びます。
尚、正式ルートは丸太町通りから岡崎通りを北にでて、突き当りを東にいくと山門となります。
*江戸ヒロインの詳しいお勧めブログ
https://wheatbaku.exblog.jp/29732078/
今日の寺社データ
ブログ公開日 | 2020/8/08 |
登録番号 | 京都撮り歩き(76) |
場所名 | 金戒光明寺 |
魅力メモ ウキペデア | 金戒光明寺は、京都市左京区にある浄土宗の寺院。山号は紫雲山。本尊は阿弥陀如来。通称をくろ谷さんと呼ぶ。知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の七大本山の一つであり、また京都四箇本山の一つである。初めは念仏道場として利用されていた。境内には皇族・公家の茶の湯に使われた黒谷明星水という名水がある |
アクセス・連絡先 | 市バス 岡崎道下車(32・100・203・204系統)徒歩10分市バス 東天王町下車(5系統)徒歩15分 |
行き先分類 | 東山山麓の寺社 |
エリア①-3 | |
黒谷から真如堂・吉田山散歩 | |
足を伸ばして一緒にいかが | 金戒光明寺、真如堂、東北院、宗忠神社、吉田神社 元真如堂、 |
追加エピソード | 徳川初期に、同じ浄土宗の知恩院とともに、城郭構造に改められていた。会津藩主松平容保が幕末の文久2年閏8月1日(1862年9月24日)に京都守護職に就任すると、京都守護職会津藩の本陣となり、藩兵1,000人が京都に常駐し1年おきに交替した。しかし、会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き、治安の維持に当たらせた。 |
鑑賞ポイント | |
行事・特別公開 | 御影堂・庭園・山門・大方丈の公開11月1日-12月4日 |
お勧め建物 | 御影堂、大方丈、玄関、唐門、築地塀 |
特殊建物 | 三重塔(文殊塔) |
お勧め文化財 | |
お勧め仏像 | 木造千手観音立像(通称吉備観音)伝運慶作の文殊菩薩像や吉備観音像(重文) |
お勧め絵画 | 絹本著色山越阿弥陀図(三曲屏風一隻)・絹本著色地獄極楽図(二曲屏風一双) |
お勧め庭 | 蓮池と極楽橋 大方丈の公開11-12月 |
パワースポット | 12月31日大晦日に23:30から除夜の鐘をつき始める。 |
花暦 花・時期 | |
京都観光NAVI | 「くろ谷さん」の名で親しまれる浄土宗大本山。法然上人が初めて草庵を結んだ地で、幕末の京都守護職を務めた会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)が本陣を構えた寺で、新選組誕生の地。特別拝観中に大方丈では「謁見の間」「虎の間」「松の間」の拝観と回廊式庭園「紫雲の庭」、平成24年に作られた庭「ご縁の道」が散策できる。御影堂では、伝運慶作の文殊菩薩像や吉備観音像(重文)も拝観できる。 |
その他情報1 | 直実鎧掛けの松 ? 熊谷直実が鎧を洗いそれを掛けたという松。もとの松は枯れ、それを引き継いだ2代目が2003年(平成15年)に京都市指定保存樹に指定されたが、2013年(平成25年)に枯れ、翌2014年(平成26年)に3代目の松が植えられた。 |
その他情報2 塔頭 | 蓮池院(れんちいん) - 平安時代末期の武将熊谷直実が出家し、法力房蓮生となり、庵を結んだ場所。通称寺の名称を熊谷堂と呼ぶ。直実が兜を置いたので蓮池を別名「兜之池」という。その後春日局は、池に蓮を植え、堂を改修して名を蓮池院熊谷堂と改称した。金戒光明寺には、お江(崇源院)・春日局・阿茶局のお墓が有ります。 |
西雲院。1175年(承安5)法然上人がこの地の石に腰を下ろし、日想観をしていると、紫雲がたなびいて、悟った上人は、この岡に庵を結んだのが金戒光明寺の始まりであり、この石を「紫雲石」という。開基の宗厳(そうごん)は、秀吉が朝鮮に出兵の時に連れ帰った一人でのち出家してこの石を賜り元和2年草庵を結ぶ。その後「万日」の別時念仏を修する者ひきもきらず、「万日寺」と称せられる。幕末、黒谷一山が京都守護職会津松平侯の本陣となり、当院は会津藩殖難者墓地をあずかる。 | |
公的案内資料 | https://www.kurodani.jp/ |
黒谷さん「金戒光明寺」の全景です。境内はスライドをご覧ください。 広大な敷地に多くの伽藍・塔頭があります。特別参観以外は非公開 次の真如堂は北門から150mほどとなります。 |
立派な「山門」です。幕末は会津藩が駐屯 新撰組みが訓練したようです。詳細はスライドをご覧ください。 |
「三重塔」重文です。徳川秀忠の供養のための文殊塔 此のあたりからの市内眺望はお勧め (グーグルストリートヴユウ) |
秀忠夫人「お江」(崇源院)の方の慰霊塔(宝篋印塔)です。 春日の局が供養のため、作ったとあります。 |
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