京都撮り歩き(88)東山山麓の六道珍皇寺を巡る
今日の京都撮り歩きは東山山麓で、昔の鳥辺野の近くにある、六道珍皇寺*をご案内します。先週の八坂神社から10分ほどでたどりつきます。多くの観光客は高大寺、清水寺、あるいは建仁寺、祇園方向に移動します。昔から、市内の亡骸は鳥辺野の近くの六道入り口のこの寺に集まり、ここから送葬地へ運ばれたそうです。鴨川を三途の川、この六道の入り口で、閻魔様に行き先の判断を受けることになります。
小野篁が冥界に通ったと伝わる井戸もあり、不思議な世界です。京都の人からは「六道さん」と呼ばれ、盂蘭盆の頃には多くの人が集まりますが、普段は静かな寺院です。現在は建仁寺の末寺の一つです。
小野篁は小野小町の祖父とか父親とも言われている人で、参議まで、登った文化人です。昼間は朝廷に出仕し、夜は冥界の閻魔庁に出かけた、奇人だそうです。場所柄、この様ないわくのある寺です。閻魔様が鎮座し、冥界の入り口の井戸まであります。さらに、霊を呼び戻す、鐘まであります。また、 轆轤町と呼ばれるどくろ町も存在します。お土産に「幽霊子育て飴」も有ります。
少し、王道からずれます、いかがでしょうか。一度、不思議な世界を覗いてご覧ください。明日は六波羅蜜寺を予定しています。
*もっと詳しくしたい方には次の資料がお勧めです。
京都格別な寺、宮本健次著
今日の寺社データ
ブログ公開日 2020/9/26
登録番号 京都撮り歩き(88)
場所名 六道珍皇寺
魅力メモ ウキペデア 六道珍皇寺は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は大椿山。本尊は薬師如来。8月7日 - 10日の「六道詣り」、小野篁が冥界に通ったと伝わる井戸で知られる。通称「六道さん」。この付近が「六道の辻」であるとされる
アクセス・連絡先 京阪電車 清水五条下車 徒歩約20分 市バス 清水道 徒歩約5分
行き先分類 東山山麓の寺社、
エリア③-3
建仁寺から六波羅周辺を歩く
足を伸ばして一緒にいかが 仲源寺、建仁寺、六道珍皇寺、六波羅蜜寺、(安井金比羅宮)
追加エピソード 鎌倉時代までは東寺の末寺として多くの寺領と伽藍を有したが、南北朝時代以降、寺領の多くが建仁寺の所有に転じたことと戦乱により衰退し、中世後期の寺史はあきらかではない。貞治3年(1364年)、建仁寺から聞溪良聰が入寺して再興、この際に臨済宗に改められた
鑑賞ポイント 往還の井戸
行事・特別公開 秋季寺宝展〈後期特別公開〉
お勧め建物
特殊建物 往還の井戸、閻魔殿、迎えの鐘
お勧め文化財
お勧め仏像 閻魔像、小野篁像
お勧め絵画
お勧め庭
パワースポット 現世と冥界の生死の境つまり「六道の辻」
花暦 花・時期
京都観光NAVI 俗に‘六道さん’で知られる。臨済宗建仁寺派。空海の師慶俊が開基といわれる。京の盆の始まりはこの寺の迎えの鐘。昔、この寺が鳥辺野の葬場の入り口にあったことから、ここが、現世と冥界の生死の境つまり「六道の辻」と考えられ、今昔物語にもある当寺の寺宝の梵鐘の迎え鐘によって精霊がこの世によみがえってくると信じられた。本堂裏の二つの井戸は、小野篁が冥土へ通った往還の井戸という不思議な伝説があり、閻魔堂には、閻魔大王像とともに小野篁像が合祀されている。境内の散策は自由。但し堂内(重文の本尊薬師如来や地獄絵等)の拝観は事前申し込みが要る
その他情報1 六道珍皇寺の一帯はかつての葬送地でした。鳥辺野入り口にあたり六道の辻といいます。鳥辺野へ至る道筋にあたる六道珍皇寺にて野辺の送りの法要を行い、この地で最後のお別れの後、おんぼうにより風葬の地である鳥辺山の麓へと運んで行きました。そんな風習の為か、珍皇寺の辺りを中世以降「六道の辻」と呼び、他界(地獄)への入り口とされてきました。この六道とは仏教の説く六道輪廻の死後の世界のことで地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上界の六つの世界を指します。衆生は死後生前の善悪の業により六道のいずれかに赴くとされ、珍皇寺はこの六種の冥界への入り口にあたり、人の世の無常と儚さを感じる「あの世とこの世」の分岐点と信じられてきました。
その他情報2 鐘楼にかかる鐘は、毎年お盆に精霊をお迎えするために撞かれますが、古来より、この鐘の音は遠くは十萬億土の冥土まで響き渡り、亡者は、そのひびきに応じてこの世に呼び寄せられると伝わっています。このことより「お迎え鐘」と呼ばれています
公的案内資料 http://www.rokudou.jp/
六道珍皇寺は右上の八坂神社からは10分程度です。 |
こちらが山門です。通り過ぎるようなところに六道の入り口が有ります。 |
閻魔様が鎮座しています。隣に小野篁があります。 |
冥界への入り口の井戸が境内にあります。 扉越しに望遠で撮りました。 |
コメント
コメントを投稿