京都撮り歩き(83)東山山麓の金地院を巡る
今日の京都撮り歩きは昨日の「南禅院」と「天授庵」から少し、地下鉄蹴上駅側に戻ったところにある金地院を御案内します。こちらも、南禅寺の塔頭の一つですが、ここの寺院は家康の法律顧問の資格を持った、僧、以心崇伝が作ったとされています。五山の住職の任命権を持った人で、一塔頭の割りに、立派なしつらえの方丈、庭園を持つことで有名です。徳川家光を迎えるため、作られたようです。
現在は国の特別名勝にも指定された、小堀遠州作庭の庭園に加え、重文の茶室(八窓席)、襖絵など、見所の多い寺院です。南禅寺を訪れると、必ずこの「金地院」もはずさずにごらんください。枯山水の庭園、池周遊庭園の作庭には随所に細かい、意匠と工夫が盛り込まれています。武家書院造りの庭園です。
この寺院内には家康の東照宮が京都にも存在します。家康の遺髪が祀られてある、不思議な寺院です。境内の回遊は玄関入ってから、左をひたすら、めぐるルートがお勧め、東照宮をとおり、木々の木漏れびの中を抜け、池を廻って、最後に、鶴亀の石がある、枯山水の庭、方丈と廻ってください。
この回遊はどうも、設計者の意図と異なるようですが、素敵な空間意匠に出会えます。方丈の長谷川等伯の襖絵も是非、ご覧ください。(順番制で待ち時間あり)筆者は茶室、八窓亭は申し込みを忘れ、失念しました。
次回は明治の偉勲、山県の別邸の無鄰菴と青蓮院を案内します。
今日の寺社のデータ
現在は国の特別名勝にも指定された、小堀遠州作庭の庭園に加え、重文の茶室(八窓席)、襖絵など、見所の多い寺院です。南禅寺を訪れると、必ずこの「金地院」もはずさずにごらんください。枯山水の庭園、池周遊庭園の作庭には随所に細かい、意匠と工夫が盛り込まれています。武家書院造りの庭園です。
この寺院内には家康の東照宮が京都にも存在します。家康の遺髪が祀られてある、不思議な寺院です。境内の回遊は玄関入ってから、左をひたすら、めぐるルートがお勧め、東照宮をとおり、木々の木漏れびの中を抜け、池を廻って、最後に、鶴亀の石がある、枯山水の庭、方丈と廻ってください。
この回遊はどうも、設計者の意図と異なるようですが、素敵な空間意匠に出会えます。方丈の長谷川等伯の襖絵も是非、ご覧ください。(順番制で待ち時間あり)筆者は茶室、八窓亭は申し込みを忘れ、失念しました。
次回は明治の偉勲、山県の別邸の無鄰菴と青蓮院を案内します。
今日の寺社のデータ
ブログ公開日 | 2020/9/06 | |
登録番号 | 京都撮り歩き(83) |
場所名 | 金地院 | |
魅力メモ ウキペデア | 金地院は京都府京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の寺院。小堀遠州作の庭が国の特別名勝に指定されている。 南禅寺の塔頭の1つで、江戸幕府の法律外交を担った僧・以心崇伝が住したことで知られる。 僧録司が置かれ一塔頭寺院に留まらず江戸時代を通じて五山十刹以下全ての住職の任命権を持つ事実上の最高機関とされた。 | |
アクセス・連絡先 | 蹴上駅(京都市営地下鉄 東西線)下車。1号出口から徒歩5分京都市営バス5系統「南禅寺・永観堂道」バス停下車徒歩8分 | |
行き先分類 | 東山山麓の寺社 | |
エリア①-1 | ||
南禅寺から銀閣寺への道 | ||
足を伸ばして一緒にいかが | 南禅寺、天授庵、南禅院、金地院、無鄰菴 | |
追加エピソード | ||
鑑賞ポイント | ||
行事・特別公開 | ||
お勧め建物 | 東照宮(重文)は寛永5年(1628)の造営で権現造り様式で家康の遺髪と念持仏とを奉戴 | |
特殊建物 | 茶室「八窓席」は予約制です(往復はがきで申し込み) | |
お勧め文化財 | ||
お勧め仏像 | ||
お勧め絵画 | 拝殿天井の鳴龍は狩野探幽の筆、36歌仙の額は土佐光起の筆である。尚、八窓席茶室の襖絵長谷川等伯筆「猿猴捉月図」及「老松」 | |
お勧め庭 | 鶴亀の庭(特別名勝)枯山水庭園とともに小堀遠州作 | |
パワースポット | ||
花暦 花・時期 | ||
京都観光NAVI | 南禅寺塔頭。応永年間(1394-1428)足利義持が北山に創建、1605年(慶長10)崇伝により現在地に移築された。方丈は重文で、狩野派による襖絵は有名。茶室八窓席(重文)は、鶴亀の庭(特別名勝)枯山水庭園とともに小堀遠州作で名高い。〔茶室の拝観は往復はがきで。〕東照宮(重文)は寛永5年(1628)の造営で権現造り様式で家康の遺髪と念持仏とを奉戴し、拝殿天井の鳴龍は狩野探幽の筆、36歌仙の額は土佐光起の筆である。尚、八窓席茶室の襖絵長谷川等伯筆「猿猴捉月図」及「老松」は有名である。 | |
その他情報1 | 金地院は応永年間に大業和尚が足利義持の帰依を得て北山に開創した禅寺である。慶長の初め崇伝長老が南禅寺塔頭に移建して現在に至る。本尊には地蔵菩薩を奉安す。金地院崇伝は徳川家康に近侍し、天海僧正と共に幕議に参画し自らは天下僧録司として社寺の事を掌り、寺門繁興、威勢頗る盛大であった。世に寺大名と称したのは金地院の別称である。また、崇伝長老は「黒衣の宰相」とも呼ばれ畏怖尊敬を一身に集めた名僧で、寛永3年、後水尾天皇から円照本国師の号を賜った。 | |
その他情報2 | 室町時代に京都北山に開創、江戸初期に現在地へ移転。国指定特別名勝の庭園「鶴亀の庭」は、徳川家康の相談役であった以心崇伝(いしんすうでん)が、幕府の茶人としても知られる庭園デザイナーであった小堀遠州に依頼して作らせる。ただ作庭当初は、遠州の指示のもと弟子の村瀬佐介や、石組みの名人・賢庭(けんてい)を中心に作庭されたといわれる。 | |
公的案内資料 |
金地院の入り口です。南禅寺天授庵から5分程度、 地下鉄蹴上駅方向にもどります。境内配置はスライドをご覧ください。 |
立派な楼門です。この奥に東照宮があります。 寺院に入る前にご覧ください。道路に面しています。 |
境内の東照宮前の通路です。木漏れびの通路が続きます。 途中の東照宮・池泉等は別途スライドをご覧ください。 |
境内を辿ると、方丈前の枯山水の庭となります。 ルート途中の様子はスライドをご覧ください。 |
燈篭の右側が鶴亀の石となります。少し、離れて見分けるのが難しい。 後ろの大刈り込みが印象的といわれています。方丈前の廊下で眺めてください。 |
方丈内の襖絵の一部の「猿猴捉月図 」です。 長谷川等伯の有名な作品の一つ。相国寺、龍泉庵にもあります。 |
コメント
コメントを投稿