京都撮り歩き(98)東福寺塔頭霊雲院&光明院を巡る
今日の京都京都撮り歩きは昨日の東福寺の数多い、塔頭(25)から、普段、公開されている「霊雲院」と「光明院」の2寺院を巡ってみます。東福寺の塔頭には、有名な「龍吟庵」、「芬陀院(雪舟寺)」「同聚院」、「退耕庵」と「天得院」も有ります。見学できますが、比較的すいているこの、2寺院としました。
予想とおり、数少ない観光客で、ゆっくり、お庭を拝見できました。「龍吟庵」と「雪舟寺」他の塔頭については、東福寺本坊の方丈の庭と合わせて、早い時間を狙って、次の機会にトライします。
今日の「霊雲院」は珍しく、年齢制限のある寺院でした。「九山八海の庭」と呼ばれています。庭中央の「遺愛石」と大砂紋の素敵さに目をひきつけられます。縁台に座って、しばし、佇んではいかがでしょうか。昭和の名作庭家「重森三玲」によって造り直されたとあります。「茶室観月亭」の前にある「臥雲の庭」の庭も見逃すことができません。
もう一つは少しはずれにありますが、通常「虹の苔寺」と呼ばれています。「光明院」はいかがでしょうか、入館料の御布施を竹の筒にいれ、中に入ると、こじんまりとした庭園が前面に広がります。こちらも「重森三玲」の作品です。白砂の枯池が三箇所配置され、多くの三尊石があり、苔むす頃には、素晴らしい、空間となります。少し、季節がずれていて、苔が茶色に変色した状況で残念な状況でした。筆者は「重森三玲」のお孫さんの「重森千青」殿の公開講義を受ける機会があり、京都の庭めぐりに力点を「重森三玲」の作庭に興味をもち、巡っています。
「霊雲院&光明院」案内図です。 東福寺を挟んで両側に位置してあります。 途中、多くの塔頭群があります。 |
今日の寺社データ
①霊雲院
ブログ公開日 2020/10/24
登録番号 京都撮り歩き(98)
場所名 東福寺塔頭、霊雲院
魅力メモ ウキペデア 霊雲院(れいうんいん)は、京都府京都市東山区本町にある臨済宗東福寺派の寺院で東福寺の塔頭である
アクセス・連絡先 JR奈良線・京阪本線 東福寺駅下車、徒歩10分。京阪本線鳥羽街道駅下車、 徒歩8分。伽藍の中心部(国宝三門等)へは東福寺駅からよりも近く、紅葉の時期も東福寺駅ほど混雑しない。
行き先分類 東山山麓の寺社、
エリア③-5
泉湧寺と東福寺の山内散歩
足を伸ばして一緒にいかが 泉湧寺、東福寺、東福寺塔頭、霊雲院、 光明院
追加エピソード 幕末には、この寺で西郷隆盛と勤王の僧、月照が維新へ向けて密議を交わしたといわれ、日露戦争当時にはロシア兵の捕虜収容所となった。50人のロシア兵が8ヶ月に渡ってここで寝起きし、彼らが故郷を想って作った弦楽器が展示されている。
鑑賞ポイント
行事・特別公開
お勧め建物 書院 観月亭
特殊建物 太閤豊臣秀吉の北野大茶会当時のものを移築した桃山様式の茶室で、1階が四畳半席、2階が五畳半席の珍しい二階建てである。月を邪魔する雲を眼下に臥せさして、月見を催す趣向から「観月亭」と称する。非公開。
お勧め文化財
お勧め仏像
お勧め絵画
お勧め庭 「九山八海の庭」遺愛石 「臥雲の庭」
パワースポット
花暦 花・時期
京都観光NAVI 東福寺塔頭。1390年(明徳1)岐陽方秀が開創。寛永年間(1624-44)に住持の湘雪守げんに帰依した熊本藩主細川忠利・光尚父子から、遺愛石と銘づけた須弥台と石船を贈られた。古今、名石の誉れが高い。枯山水の庭は、戦後、重森三玲氏(庭園研究家)の手で復元され、遺愛石を置いた九山八海の庭と、臥雲の庭の二つがある。桃山様式という二階建て茶室観月亭から庭が観賞できる。建立:1390(明徳1)年
その他情報1 東福寺塔頭。明徳元年(1390)岐陽方秀(ぎようほうしゅう)によって創建。日露戦争時、ロシア人の捕虜が東福寺全体に1,500人おり、当院にも当時50人、明治38年(1905)3月24日から11月19日まで、84日間収容されていた。捕虜収容中に手造りされていたギター、バイオリン、タンバリンなどが当院にて記念として置かれている。書院前庭には、寛永年間(1624~1644)に肥後藩主細川忠利・光尚父子から贈られた「遺愛石」と名付けた須弥台と石船が庭園中央に鎮座しており、地面の波紋は須弥山の九山八海を表していることから「九山八海の庭」とよばれ、また方丈の西側の茶褐色の鞍馬砂など様々な砂を用いて模様をつけ雲を表したといわれる「臥雲の庭」は、戦後の重森三玲によって復元されたものである
公的案内資料 京都・観光文化検定試験公式テキストブック、京都の文化財他
「霊雲院」です。小さい門で通り過ぎそうでした。奥に受付けがあります。 |
「九山八海の庭」です。遺愛石と石紋のデザインが素敵です。 |
「臥雲の庭」です。小さい庭ですがいかがでしょうか 他境内は別途スライドをご覧ください。 |
②光明院
ブログ公開日 2020/10/24
登録番号 京都撮り歩き(98)
場所名 東福寺塔頭、光明院
魅力メモ ウキペデア 東福寺塔頭。庭の苔がとても美しいことから「虹の苔寺」の別名をもつ寺院。歴史は古く明徳2年(1391)、金山明昶(きんざんめいきょう)によって創建。「波心庭」とよばれる庭園は、白砂の枯れ池と苔を巧みに調和させ、雲紋状に刈り込まれたサツキやツツジを背景に、洲浜状の枯れ池に三尊石(釈迦三尊、阿弥陀三尊、薬師三尊を表している)を配した枯山水庭園
お勧め庭 波心の庭。池泉式の枯山水
花暦 花・時期 サツキやツツジ
京都観光NAVI 東福寺塔頭。1391年(明徳2)金山明昶の開創。方丈前の庭園は波心の庭。池泉式の枯山水で、州浜型の枯池に三尊石組を配し、背後にサツキやツツジを雲紋になぞらえて刈り込み、雲の上に茶亭蘿月(らげつ)庵があり、月が昇る姿を形どる。入り口に雲嶺の庭がある。建立:1391(明徳2)年
その他情報1 "別名「苔の虹寺」と称され、苔の美しい新緑や紅葉時には、ひそやかな禅寺も華やぎを増 す。苔の美しい新緑や紅葉時には、ひそやかな禅寺も華やぎを増 す。方丈の前に広がる池泉式の枯山水庭園は、昭和十四年、東福寺方丈庭園と同時期に設計されたもの で、重森三玲の初期の名作。方丈庭園とはうってかわって、平安式の洲浜型の枯池に多数の石組みを配 している。寺号にちなんで光明をテーマに作庭されており、大海を表す白砂に構成された三ヵ所の 三尊石組から仏の光のごとく斜線状に立石が並ぶ。"
公的案内資料 京都・観光文化検定試験公式テキストブック、京都の文化財他
「光明院」です。東福寺のはずれに有ります。 「是非」とタクシーの運転手に勧められました。 受付の竹筒に料金を適宜入れてください。 |
「波心の庭」です。季節が外れて、緑の苔はありませんが... |
縁側に腰を下ろし、この空間をしばし、佇みました。 境内詳細は別途下のスライドをご覧ください。 |
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