京都撮り歩き(18)京の絵画を見よう

今日の「京都撮り歩き」は京都の寺社・博物館にある、絵画に絞って、みて歩くことにします。昨日の仏像よりも、多くの国宝級、重要文化財の絵画が有ります。到底、全てを語ることはできませんので、概要だけになります。しかし、せっかく、京都にこられたのですから、これだけは、ご覧にいただいたらと思う、優れた作品を選んでみようと思います。
絵画の資料は沢山ありますので、選ぶのが難しいのですが、 者は図書館で「原色日本の美術全32巻」を見つけてはまってしまい。古本で全集揃えてしまいました。
いつも部屋で眺めて、時折、展覧会に出かけて、本物に合いに行くのが愉しみの一つになりました。おそらく、殆どの解説書はこの本をベースに作られているのではないでしょうか。
京都の絵画について、昨日と同様に文化財データベースで検索してみました。仏像と異なるところは、中国から入った作品が意外にあるようで、国宝・重要文化財に指定されています。今日は2項に限定して絵画を紹介いたします。
京都の絵画の歴史は、仏画が始まりで、絵巻物、水墨画、障屏画と発展しています。禅寺の方丈の襖、障壁画、素晴らしい作品があります。お勧めの寺も大事ですが、絵師がだれかが必須条件のようです。
ブログは次の資料を基に作成しております。数多く絵画の本がでていますので、適宜参照ください。なお、お勧めのHPが有りますので、こちらを是非ご覧ください。   

    ①京都で見られる絵画の種別と時代と作品のある場所

    ②京都で活躍した絵師と作品のある寺


    参考資料イ)原色日本の美術」小額館編 
            第7巻  仏画
            第8巻  絵巻物
            第11巻 水墨画
            第13巻 障屏画
            第14巻 宗達・光琳

        ロ)すぐわかる日本の絵画 守屋著 こちらもお勧め 

1、京都にある、絵画の概要
 文化庁のデータから、時代別に国宝・重要文化財を検索した結果を表①にします。平安から室町時代の絵画が多く、明治以降は殆どありません。中国から渡来した時期は南宋時代が多いことがわかります。禅宗の影響とも言われています。
 国宝に絞って、所有している寺院と博物館を整理してみました。表②に示します。国立京都博物館、神護寺、醍醐寺、智積院、二条城ははずせない宝庫です。筆者は表にない、大覚寺もお勧めです。
明治維新直後および、第2次世界大戦、海外に流失した作品および、京都市指定の絵画のデータは含んでいません。重要文化財の絵画のデータは見学前に追加ください。確実な保管と、修復をして、次世代に渡す貴重な文化遺産ですので、写真撮影は控えましょう。全ての絵画はいつも、拝見できません。公開日があります。是非、必ず訪問前に公開日を確認ください。

     表①
時代国宝重要文化財
飛鳥000
奈良000
平安142640
鎌倉19153172
南北朝24850
室町4103107
安土桃山000
江戸26668
明治000
大正01竹内栖鳳
昭和00
中国
時代国宝重要文化財
北宋112
南宋93746
112

表②-1寺院
所有者名名称種別1時代
宗教法人教王護国寺絹本著色眞言七祖像国宝中国/日本唐/平安
清浄華院絹本著色阿弥陀三尊像〈普悦筆/〉国宝中国南宋
仁和寺絹本著色孔雀明王像国宝中国南宋
金地院絹本著色秋景冬景山水図国宝中国南宋
東福寺絹本著色無準師範像国宝中国南宋
高桐院絹本墨画山水図国宝中国南宋
大徳寺絹本墨画淡彩猿鶴図〈牧谿筆/〉国宝中国南宋
大徳寺絹本墨画淡彩観音図〈牧谿筆/〉国宝中国南宋
上品蓮台寺紙本著色絵因果経国宝日本奈良
醍醐寺(京都 報恩院旧蔵)紙本著色絵因果経国宝日本奈良
宗教法人教王護国寺絹本著色五大尊像国宝日本平安
神護寺絹本著色釈迦如来像国宝日本平安
松尾寺絹本著色普賢延命像国宝日本平安
曼殊院絹本著色不動明王像国宝日本平安
青蓮院絹本著色不動明王二童子像国宝日本平安
宗教法人教王護国寺絹本著色両界曼荼羅図〈/(伝真言院曼荼羅)〉国宝日本平安
醍醐寺五重塔初重壁画(板絵著色)国宝日本平安
平等院鳳凰堂中堂壁扉画(板絵著色)国宝日本平安
宗教法人高山寺紙本墨画鳥獣人物戯画国宝日本平安/鎌倉
神護寺紫綾金銀泥絵両界曼荼羅図〈/(高雄曼荼羅)〉国宝日本平安
大徳寺絹本著色大燈国師像国宝日本南北朝
長福寺紙本著色花園天皇像〈豪信筆/〉国宝日本南北朝
知恩院絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図〈/(早来迎)〉国宝日本鎌倉
醍醐寺絹本著色閻魔天像国宝日本鎌倉
醍醐寺(京都 三宝院旧蔵)絹本著色訶梨帝母像国宝日本鎌倉
醍醐寺絹本著色五大尊像国宝日本鎌倉
宗教法人教王護国寺絹本著色十二天像〈伝宅間勝賀筆/六曲屏風〉国宝日本鎌倉
神護寺絹本著色山水屏風〈/六曲屏風〉国宝日本鎌倉
神護寺絹本著色伝平重盛像国宝日本鎌倉
神護寺絹本著色伝藤原光能像国宝日本鎌倉
宗教法人高山寺絹本著色仏眼仏母像国宝日本鎌倉
神護寺絹本著色伝源賴朝像国宝日本鎌倉
醍醐寺(京都 報恩院旧蔵)絹本著色文殊渡海図国宝日本鎌倉
禅林寺絹本著色山越阿弥陀図国宝日本鎌倉
宗教法人高山寺紙本著色明恵上人像国宝日本鎌倉
北野天満宮紙本著色北野天神縁起国宝日本鎌倉
真宗本願寺派紙本墨画親鸞聖人像(鏡御影)国宝日本鎌倉
知恩院紙本著色法然上人絵伝〈/詞伏見天皇外 七筆〉国宝日本鎌倉
退蔵院紙本墨画淡彩瓢鮎図〈如拙筆/〉国宝日本室町
金地院紙本墨画渓陰小築図国宝日本室町
智積院紙本金地著色松に草花図〈/二曲屏風〉国宝日本桃山
智積院紙本金地著色松に草花図〈床貼付四/壁貼付二〉国宝日本桃山
智積院紙本金地著色桜楓図〈壁貼付九/襖貼付二〉国宝日本桃山
智積院紙本金地著色松に梅図〈襖貼付四/〉国宝日本桃山
智積院紙本金地著色松に黄蜀葵及菊図〈床貼付四/〉国宝日本桃山
建仁寺紙本金地著色風神雷神図〈俵屋宗達筆/二曲屏風〉国宝日本江戸


表②-2博物館他
所有者名名称種別1時代保管施設の名称
財団法人泉屋博古館絹本著色秋野牧牛図国宝中国南宋財団法人泉屋博古館
独立行政法人国立文化財機構絹本著色釈迦金棺出現図国宝日本平安京都国立博物館
独立行政法人国立文化財機構絹本著色十二天像国宝日本平安京都国立博物館
独立行政法人国立文化財機構絹本著色山水屏風〈/六曲屏風〉国宝日本平安京都国立博物館
独立行政法人国立文化財機構絹本著色山越阿弥陀図国宝日本鎌倉京都国立博物館
独立行政法人国立文化財機構紙本著色病草紙国宝日本鎌倉京都国立博物館
独立行政法人国立文化財機構紙本著色餓鬼草紙国宝日本鎌倉京都国立博物館
独立行政法人国立文化財機構白描絵料紙墨書金光明経〈巻第三/〉国宝日本鎌倉京都国立博物館
独立行政法人国立文化財機構紙本墨画淡彩天橋立図〈雪舟筆/〉国宝日本室町京都国立博物館
聚光院方丈障壁画国宝日本室町京都国立博物館
独立行政法人国立文化財機構紙本墨画蓮池水禽図〈俵屋宗達筆/〉国宝日本江戸京都国立博物館
公益財団法人荏原畠山記念文化財団紙本墨画禅機図断簡〈因陀羅筆/(智常・李渤図)〉国宝中国公益財団法人
公益財団法人荏原畠山記念文化財団絹本著色林檎花図国宝中国南宋公益財団法人
公益財団法人荏原畠山記念文化財団紙本墨画煙寺晩鐘図〈伝牧谿筆/〉国宝中国南宋公益財団法人

2、京都活躍した絵師 

正確には絵師集団といえるのでしょうか、とても、一人では作れるものではなく、膨大な時間を費やして作られています。狩野派、長谷川派、琳派など、主だった、絵師と拝見できる寺院を整理してみました。少し長くなりましたが、一通り、お読みください。この、資料はのHPと合わせて、ご覧いただくことをお勧めします。

      
おけいはん 京都通のおすすめ 
第百二十回 京の襖絵(ふすまえ)
第九十九回 若冲と近世日本画
第九十回 琳派(りんぱ)
第六十回 京狩野派
第二十四回 京の絵師
第二十三回 涅槃会

表③おもな絵師と見られる寺社他 かな順

絵師ウキペデア他
寺社・博物館他
 円山応挙円山 応挙は、江戸時代中期~後期の絵師。 近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。 諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われている。 一乗寺小谷町の円光寺に残されている「雨竹風竹図屏風」など
 岸駒岸駒は、江戸時代中期から後期の絵師。姓は佐伯。名は昌明。幼名は乙次郎、又は健亮。字は賁然。華陽、鳩巣、天開翁、同功館、可観堂、虎頭館と号す。初期の号は岸矩。岸派の祖。従五位下。浄福寺方丈障壁画、日蓮上人図  妙覚寺 虎渓三笑図襖 修学院離宮寿月観所在
伊藤若冲伊藤 若冲は、近世日本の画家の一人。江戸時代中期の京にて活躍した絵師。名は汝鈞、字は景和。初めは春教と号したという記事があるが、その使用例は見出されていない。斗米庵、米斗翁、心遠館、錦街居士とも号す。 写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」として曾我蕭白、長沢芦雪と並び称せられる。建仁寺 両足院:「雪梅雄鶏(せつばいゆうけい)図」
海北友雪海北 友雪(かいほう ゆうせつ、慶長3年(1598年) - 延宝5年9月3日(1677年9月29日)は、日本の江戸時代初期の絵師。安土桃山時代を代表する絵師の一人・海北友松の子。名は道暉、友雪は号、春日局の推挙で徳川家光に召し出され当時の好みに合わせようと狩野派に接近、春日局開基で菩提寺の妙心寺塔頭麟祥院「雲竜図」「西湖図」などの襖絵にその強い影響が見られる。以後狩野探幽に従い、明暦・寛文・延宝期の内裏障壁画制作に狩野派外では例外的に毎回参加(『隔冥記』『海北家由緒書』)妙心寺 麟祥院:障壁画「雲龍図(一部複製)」「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)・西湖図」
狩野探幽永徳の孫で「永徳の再来」と称された天才絵師。江戸幕府の御用絵師(ごようえし)として活躍し「江戸狩野」の礎を築いた。代表作として、豪壮な二条城二の丸御殿障壁画や、瀟洒端麗と称される画風で探幽の代表作の一つとなった、「京の冬の旅」公開寺院・大徳寺 本坊の水墨障壁画「山水図」「芦雁(ろがん)図」(重文)などがある。大徳寺 本坊:水墨障壁画「山水図」「芦雁図」(重文)など妙心寺 龍泉菴:「観音・龍虎図」
狩野山雪山楽の娘婿で、山楽の作風を引き継ぎながら、「奇怪」とも称される幾何学的な構図や精密な描写が特徴の独創的な画風を確立。妙心寺 天球院の障壁画のほか、屏風絵などの現存作がある。山雪の残した画論を息子・永納(えいのう)がまとめたものが、日本人による最初の本格的な絵画史『本朝画史(ほんちょうがし)』である妙心寺 天球院:障壁画「竹虎(たけとら)図」「梅に遊禽(ゆうきん)図」「籬草花(まがきそうか)図」(重文・複製)など
狩野山楽巨匠・永徳の弟子となった絵師で、京都に留まり摂関家や大寺院の御用をつとめ活躍した「京狩野」の祖。永徳から受け継いだ大画様式に装飾性豊かな画風で、その代表作の一つが今回の「京の冬の旅」で公開される妙心寺 天球院の絢爛豪華な障壁画や本法寺の「唐獅子図(からじしず)屏風」である。建仁寺 正伝永源院:障壁画「蓮鷺(れんろ)図」、「織田有楽斎画像」「鍾馗(しょうき)図」建仁寺 霊源院:「布袋像」本法寺:「唐獅子図屏風」※展示替有妙心寺 天球院:障壁画「梅に遊禽(ゆうきん)図」(重文・複製)など
堂本印象堂本 印象(どうもと いんしょう、1891年12月25日 - 1975年9月5日)は京都市生れの日本画家。帝室技芸員。日本芸術院会員。本名:堂本三之助。1919年(大正8年)、帝展初出展作「深草」が入選した。帝展第3回展では「調鞠図」で特選、第6回展に出展した「華厳」は帝国美術院賞を受賞するなど第一級の日本画家として認められた。智積院:障壁画「婦女喫茶図」「松桜柳(しょうおうやなぎ)の図」
長谷川等伯能登国七尾から上洛して狩野派などの画風を学び、千利休や豊臣秀吉らに重用されるようになった狩野派のライバルともいうべき画壇の雄者。金碧障壁画と水墨画の両方で独自の画風を確立し多彩な作品を残した。代表作は、「京の冬の旅」公開寺院・智積院(旧祥雲寺)の絢爛豪華な金碧障壁画「楓(かえで)図」(国宝)と本法寺の精緻な「日堯(にちぎょう)上人像」(重文)である。建仁寺 両足院:「水辺童子図」「竹林七賢図屏風」智積院:「楓図(国宝)」本法寺:「佛涅槃図(重文・複製)」「日堯上人像(重文)「日通上人像(重文)」「妙法尼像(重文)」「波龍図(はりゅうず)屏風」妙心寺 龍泉菴 :「枯木猿猴(こぼくえんこう)図(重文・複製)」
渡辺了慶桃山時代~江戸時代初期の画家。氏は渡辺,のち狩野姓を許された。画史画伝類には了桂,了敬,あるいは量慶とも記す。狩野興以と同じく狩野光信の門弟。子の了之は興以の女婿。水墨を基調とした禅宗祖師図や山水人物図などが多いが,金碧の源氏絵屏風なども描く。西本願寺書院画など障壁画も制作した。晩年は平戸に住み,松浦藩の御用絵師をつとめたともいわれる。主要作品『源氏絵屏風』 (福田寺) ,『禅宗祖師図屏風』 (建仁寺両足院) 。東福寺 光明宝殿:「金碧障壁画(重文)」
原在中在中は円山応挙の影響を受け,写生を基調に土佐派が描く大和絵の技法と装飾を加えて独自の画風をたて,原派を起こしました山水画や花鳥画を得意とし,作品には障壁画も多く,相国寺(上京区)・建仁寺(東山区)・三玄院(北区の大徳寺塔頭)などに残されています。応挙や岸駒とともに内裏造営の際には障壁画の制作にも携わりました相国寺(上京区)・建仁寺(東山区)・三玄院(北区の大徳寺塔頭)
呉春呉春(ごしゅん、 宝暦2年3月15日(1752年4月28日) - 文化8年7月17日(1811年9月4日))は江戸時代中期の絵師である。四条派の始祖。本姓は松村(まつむら)、名は豊昌(とよまさ)。字を裕甫、のち伯望(はくぼう)、通称を文蔵(ぶんぞう)、嘉左衛門。号には呉春のほかに月溪(げっけい)、可転(かてん)、允白(いんぱく)、存允白、孫石(そんせき)、軒号に百昌堂、蕉雨亭など。初期の画号・松村月渓も広く知られる。柳鷺群禽図(りゅうろぐんきんず)京都国立博物館蔵 山水図屏風 東京国立博物館
曾我蕭白曾我蕭白は、江戸時代中期の絵師。蛇足軒と自ら号した。高い水墨画の技術を誇る一方、観る者を驚かせる強烈な画風で奇想の絵師と評される。蕭白の特徴は、部分の細密で精確な描写能力と対象の動性の的確かつ大胆な把握にある。構図における大胆な空間把握、顔料の性質を熟知した上になりたつさまざまな独創に支えられた鮮やかな彩色は、相共に強烈な不安定さを生み出し、見るものを魅了しまたおののかせる。寒山拾得図 京都・興聖寺(京都国立博物館寄託)
池大雅池 大雅は、日本の江戸時代の南画家、書家。幼名は又次郎など。諱は勤、無名、字は公敏、貨成。日常生活には池野 秋平の通称を名乗った。雅号は数多く名乗り、大雅堂、待賈堂、三岳道者、霞樵などが知られている。 妻の玉瀾も画家として知られる。弟子に木村兼葭堂などがいる。与謝蕪村とともに、日本の南画の大成者とされる。西京区松尾万石町にある池大雅美術館には遺墨・遺品などが展示されています。五百羅漢図他、柳下童子図、倣王摩詰漁楽図
長沢蘆雪長沢 芦雪は、江戸時代の絵師。円山応挙の高弟。長沢蘆雪、長澤蘆雪とも表記される。名は、政勝、魚。字は氷計、引裾。通称、主計。芦雪の他、別号に千洲漁者、千緝なども用いた。円山応挙の弟子で、師とは対照的に、大胆な構図、斬新なクローズアップを用い、奇抜で機知に富んだ画風を展開した「奇想の絵師」の一人。人物鳥獣図巻(京都国立博物館蔵)など、 呉美人図 東京国立博物館
与謝蕪村与謝 蕪村は、江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章。通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩『帰去来辞』に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥」「夜半亭」があり、画号は「春星」「謝寅」など複数ある。「野馬図屏風」(やばずびょうぶ,京都国立博物館蔵)など
俵屋宗達宗達は尾形光琳と並び称せられる近世初期の大画家だが、その知名度の高さと後世への影響の大きさに比べその生涯には不明な点が多い。おそらく親交のあった角倉素庵や烏丸光広と同年代、1570年代かその少し前の生まれと推定される。京都で「俵屋」という当時絵屋と呼ばれた絵画工房を率い、扇絵を中心とした屏風絵や料紙の下絵など、紙製品全般の装飾を制作していたと考えられている。同時代の仮名草子『竹斎』には、この頃京都で「俵屋」の扇がもてはやされたと記されている。風神雷神図 - (寛永年間中頃、建仁寺蔵、京都国立博物館寄託)
蓮池水禽図 - (元和年間前半頃、1615年頃作と推定、京都国立博物館蔵)養源院襖絵・杉戸絵 - 養源院
尾形光琳尾形光琳は、江戸時代中期を代表する画家のひとりである。主に京都の富裕な町衆を顧客とし、王朝時代の古典を学びつつ、明快で装飾的な作品を残した。その非凡な意匠感覚は「光琳模様」という言葉を生み、現代に至るまで日本の絵画、工芸、意匠などに与えた影響は大きい。画風は大和絵風を基調にしつつ、晩年には水墨画の作品もある。大画面の屏風のほか、香包、扇面、団扇などの小品も手掛け、手描きの小袖、蒔絵などの作品もある。また、実弟の尾形乾山の作った陶器に光琳が絵付けをするなど、その制作活動は多岐にわたっている。『燕子花図』(かきつばた ず)、六曲屏風一双、根津美術館、国宝 『太公望図』、京都国立博物館、重文
      

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