京都撮り歩き(20)京都の鬼門封じと陰陽道の有名な寺社他をめぐる
今日の「京都撮り歩き」は京都ツウの人のために、鬼門封じと陰陽道を少し、整理してみました。平安遷都の頃は魑魅魍魎がうごめいていたようで、都を守るため、いくつかの施策がとられた、主に、桓武帝の時代が始まりですが、今でも、説話や伝説で、語り注がれています。
大相撲の「青ぶさ下」の青ぶさは「四神相応」の「青龍」を意味しているそうです。今日は下の参考資料*から次の2つのテーマで京都めぐってみます。
疫病退散や御霊を鎮めるため、多くの神社仏閣が建立され、都の平穏を守る、神頼みが重要でした。今でも大事な時代のようです。一言迷信でかたずけられないのが人の常でしょうか。祈願に訪れる人の多い寺社をいくつかめぐっていきます。内容は概略程度しか記していません。もし、さらに興味のある方はいくつか書籍もありますので、是非、追加参照ください。お勧めHPもありますので、詳しくはこちらを参照ください。
1、王城を守る神社仏閣と鬼門封じ
2、都の闇を照らし出す、陰陽道
*参考資料 「歴史地図本 京都」歴史探訪研究会編
参考HP 京阪電鉄[おけいはん」より抜粋
第二十六回 夏越祓 | ||
第二十八回 京の魔界 | ||
第八十八回 妖怪紀行 | ||
第百三十五回 京都と鬼門(きもん) |
参考にこちらも
第六十一回 京の伝説 |
1.王城を守る神社仏閣と鬼門封じ
桓武天皇は平安京に遷都にあたり、中国の風水思想の四神相応として、東西南北に守護神に守られた地を選んだとされる。怨霊うごめく王城をまもるため、建立された神社仏閣が数多く建立されました。四神相応は次の通りですが、実際に京都に建てられた寺社を目的別に整理してみました。
東の青龍 | 加茂川 | ||
北の玄武 | 船岡山 | ||
西の白虎 | 山陰道 | ||
南の朱雀 | 巨椋池 * |
*現在は埋められている
a,鬼門封じ | |||
延暦寺 | 都の北東、鬼門封じの要 | ||
幸神社 | 内裏の鬼門「猿が辻」の前 | ||
赤山禅院 | 延暦寺別院 猿の彫刻 | ||
b、疫病封じ他 | |||
岡崎神社 | 東天王東の守りとして、建立 | ||
今宮神社 | 疫病よけ やすらい祭り | ||
上御霊神社 | 怨んで死んだ人の御霊を奉じる | ||
東寺 | 都城の最南端を守る | ||
城南宮 | 方除けの大社 真南 | ||
c,悪鬼退散のための大将軍神社と岩倉 | |||
大将軍神社は素戔嗚尊を主祭神とする、神を配置 | |||
大将軍神社 | 東の大将軍社 | ||
大将軍神社 | 北の大将軍社 | ||
大将軍八神社 | 西の大将軍社 | ||
藤森神社 | 南の大将軍社 | ||
d,古代人の巨石信仰に由来した盤座で一切経を下に埋めた | |||
観勝寺 | 東の岩倉 | ||
明王院不動尊 | 南の岩倉 | ||
山住神社 | 北の岩倉 | ||
金蔵寺 | 西の岩倉 | ||
e,仏教の守護神を作って、魑魅魍魎から守らせる | |||
鞍馬寺 | 毘沙門天 | ||
羅城門 | 石碑が残る。毘沙門天は東寺へ | ||
東寺 | 毘沙門天 | ||
西寺 | 石碑が残る |
2、都の闇を照らし出す、陰陽道
陰陽道については、多くの資料がありますが、京都に関係する、場所に限定して整理してみました。
怖いものみたさに訪れるひとにはたまらない世界のようです。まだまだ、陰陽道以外に伝説上の場所があります
①晴明神社 | 晴明神社は、京都市上京区にある神社である。安倍晴明を祀る。一条戻橋のたもとにあった晴明の屋敷跡に鎮座する。全国各地に同名の神社が存在する。 | ||
②一条戻り橋 | 嫁入り前の女性や縁談に関わる人々は嫁が実家に戻って来てはいけないという意味から、この橋に近づかないという慣習がある。逆に太平洋戦争中、応召兵とその家族は無事に戻ってくるよう願ってこの橋に渡りに来ることがあった。 | ||
③陰陽寮 | 陰陽寮は、日本の律令制において中務省に属する機関のひとつ。占い・天文・時・暦の編纂を担当する部署。「うらのつかさ」とも | ||
④河原院 | 広大な敷地で、陸奥国塩竈の風景を模して庭園を作り、尼崎から毎月30石の海水を運んで塩焼きを楽しんだという。融の死後は子の昇が相続し、昇は宇多上皇に献上して仙洞御所となった。後に融の三男の仁康に与えられ寺となったが、仁康が祗陀林寺を創建する際に河原院の本尊が移され、その後、数度の火災で荒廃した。跡地の一部には江戸時代に渉成園が作られた。 | ||
⑤鉄輪の井戸 | 夫が浮気をし、嫉妬深い妻は怒り狂い、ついには呪いの願掛けに走った。顔に朱をさし、身体に丹(赤色の絵の具)を塗り、頭には鉄輪(三本の足を持つ鉄の輪)をかぶり、その三本の足には蝋燭、口に松明をくわえ、丑の刻に向かう先は貴船神社六日目に女はついに力尽きたのか、自宅近くの井戸のそばで息絶えていた。哀れに思った者がかぶっていた鉄輪を塚と見立てて葬り、やがてその井戸は「鉄輪井戸」と呼ばれるようになった | ||
⑥神泉苑 | 神泉苑は、京都市中京区にある東寺真言宗の寺院。本尊は聖観音・不動明王・弘法大師。二条城の南に位置し、元は平安京大内裏に接して造営された禁苑であった。境内に「恵方社」として「大歳神:歳徳神」を祀るが毎年大晦日の晩に恵方に祠の向きを変える点が他の神社仏閣と異なる。 | ||
⑦土御門殿 | 土御門殿は、平安時代に平安京左京1条4坊16町に建てられた寝殿造の邸宅。邸宅の名は上東門に至る土御門大路に面していることに由来し、土御門院、京極殿、上東門殿等とも呼ばれた。現在の京都市上京区京都御苑にあたる。権力者藤原道長の屋敷 | ||
⑧六道珍皇寺 | 六道珍皇寺は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は大椿山。本尊は薬師如来。8月7日 - 10日の「六道詣り」、小野篁が冥界に通ったと伝わる井戸で知られる。通称「六道さん」。この付近が「六道の辻」であるとされる。 |
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