京都撮り歩き(39)洛北の曼殊院を巡る


 今日の京都撮り歩きは洛北の曼殊院をご案内いたします。修学院離宮から、音羽川を少し上り、右に折れて、徒歩で11分ほどで、ここ曼殊院門跡に行くことができます。天台宗の五門跡の一つで、洛北で名門の格式の高い古刹に一つです。不思議な事に、代々、住職が北野天満宮の別当職を兼務する、寺院で神社のつながりを持つ、珍しい寺院です。
 寺宝の「十一面観音像」や「元三大師像」*書院の襖絵、障壁画など、国宝、重文等の名品が目白押しの寺院です。初夏のつつじと紅葉の頃がお勧めの時期です。十一面観音像」は北野天満宮の仏像だようです。
 筆者が訪れた数日前に降雪があり、枯山水の庭の白沙が雪と混じる、独特の雰囲気を味わえました。小さい桂離宮といわれるようで、通用門を入ると大玄関ですが、庫裏(おくどさん)と調度品に驚きます。大書院、小書院の風雅な建物に眼が奪われます。なぜか、廊下に谷崎潤一郎の寄付した鐘が吊られています。
小書院の違い棚、欄間や釘隠しの素敵な意匠も忘れずにご覧ください。建物の端には「八窓軒」という茶室もあります。一方、庭に目をやりますと、石組、石橋、五葉松と「キリシタン灯篭*他の燈篭」、「梟の手水鉢*」などがあり、こちらも見所が一杯です。是非、縁側に座って、しばし、空間意匠の美を堪能ください。持ち主の美意識の高さを感じされられる、寺院です。次は徒歩13分ほどのところの詩仙堂はいかがでしょうか。
*(別のHPより一部写真拝借)

今日の寺社データ

ブログ公開日
                                   2020/4/18
登録番号
京都撮り歩き(39)
場所名
曼殊院
魅力メモ ウキペデア
曼殊院(まんしゅいん)は、京都市左京区一乗寺にある天台宗の寺院である。本尊は阿弥陀如来、開基は是算(ぜさん)である。竹内門跡とも呼ばれる門跡寺院(皇族・貴族の子弟が代々住持となる別格寺院のこと)であり、青蓮院、三千院(梶井門跡)、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられる。国宝の黄不動画像や曼殊院本古今和歌集をはじめ、多くの文化財を有する。
アクセス・連絡先
 叡山電鉄 一乗寺駅から徒歩20分。今回は修学院から徒歩11分
行き先分類
洛北
エリア分類2-1
修学院離宮、(赤山禅院)曼殊院、詩仙堂へ赴く
足を伸ばして一緒にいかが
修学院離宮、(赤山禅院曼殊院、詩仙堂
追加エピソード
北山にあった曼殊院は、足利義満の北山殿(後の鹿苑寺)造営のため移転を余儀なくされ、康暦年間(1379年-1381年)、洛中に移転する。移転先は相国寺の南方、現在の京都市上京区内に相当する。曼殊院の現在地への移転は明暦2年(1656年)のことで、現存する大書院(本堂)、小書院などはこの時のものである。この地は曼殊院と同じく比叡山の小坊の1つで慶滋保胤らによって勧学会が開かれたものの後に廃絶した月林寺の跡地であったと言われている
鑑賞ポイント
主要な建物としては玄関、大書院、小書院、庫裏、護摩堂などがある。もとは宸殿と呼ばれる建物に本尊が安置され、本堂の役割をしていたが、宸殿は明治5年(1872年)、京都府療病院(京都府立病院の前身)建築時に寄付された。
行事・特別公開
お勧め建物
大書院(本堂) 明暦2年(1656年)の建築。仏間に本尊阿弥陀如来立像を安置することから重要文化財指定名称は「曼殊院本堂」小書院 大書院(本堂)の東北方に建つ。大書院と同時期の建築で寄棟造、杮(こけら)葺きである八窓軒が小書院の北側に隣接して建つ茶室。
特殊建物
庫裏 、八窓軒(小書院の北側に隣接して建つ茶室)
お勧め文化財
古今和歌集(曼殊院本)1
お勧め仏像
十一面観音像、元三大師像
お勧め絵画
玄関障壁画(紙本金地著色竹虎図)11面、黄不動画像(幽霊写真禁)
お勧め庭
曼殊院の大書院前にある枯山水の庭園は、国の名勝にも指定されています。敷き詰められた小石で水の流れを表現しており、その中に、鶴島と亀島が設置されています。梟の手水鉢、キリシタン灯篭は見過ごすところです。
パワースポット
花暦 花・時期
椿、梅、ソメイヨシノ、サルスベリ、笹リンドウ、サザンカなどの花が四季を通じて咲き誇る。
京都観光NAVI
「小さな桂離宮」ともいわれ桂離宮を創始された八条宮智仁親王の皇子良尚法親が1656年、現在地に移された。そのためそこかしこに桂離宮と通うものがある。明治維新まで北野天満宮の別当(管理職)を務めていた。大書院・小書院・八窓軒茶室・庫裏は重文。枯山水の庭園(名勝)。国宝の不動明王(黄不動)は三不動の一つ。内部の襖絵は主に狩野探幽筆だが、他に狩野永徳筆竹虎図(重文)など
その他情報1
「竹内門跡」とも呼ばれる門跡寺院(皇族や貴族の子弟が代々住持となる別格寺院)でもあり、青蓮院、三千院、妙法院、毘沙門堂門跡と並んで、天台五門跡の1つとされており、曼殊院の延暦年間(728年~806年)に、天台宗の宗祖である「最澄上人(さいちょうしょうにん)」が、比叡に鎮護国家の道場を創建したのが始まりだとされています。
その他情報2
サンスクリット語で「妙薬」「愛楽」を意味するという「曼殊」。殊の字がちょっと違うのですが、彼岸花である「曼珠沙華」に由来していると言われています。「天上の花」とも言われる曼珠沙華「吉兆しとして、赤い花が天から降って来る」という、仏教の経典に由来しているそうです。
公的案内


昨日の修学院離宮の中茶屋付近から右に曲がります。(案内図)
この川沿いの散策もお勧めです。

「勅使門」です。門跡寺院の門は、皇族以外入れない門です。
築地塀の五本線が格式を示します。一般の出入りは通用門からとなります。

「五葉松」です。キリシタン灯篭は隠れています。
詳細は別途、スライドをご覧ください。

竹虎図(重文)」襖絵です。狩野永徳筆。その他の見どころは
スライドをご覧ください。

                       



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