京都撮り歩き(60)洛南の安楽寿院&北向山不動院を巡る
今日の京都撮り歩きは洛南にある、真言宗のお寺、安楽寿院と北向山不動院を巡ってみました。今日の2つに寺社は余り、紹介されることのない、どちらも地味な寺社ですが、城南宮から帰りに立ち寄ってはいかがでしょうか。安楽寿院の多宝塔に惹かれて、行ってみました。以下、簡単にご案内します。
鳥羽離宮のあった土地で、天皇稜として鳥羽天皇安楽寿院陵と近衛天皇安楽寿院南陵があります。なお、近衛天皇安楽寿院南陵が珍しい多宝塔です。現在は宮内庁の管理下にあり、許可を得ないと内部には入れません。素敵な多宝塔です。
今では周りは市街地となり、昔の面影は残っていませんが、広大な鳥羽離宮内の他の御所や仏堂が南北朝の戦場となり、跡形もなく滅びた中にあって、安楽寿院のみが(建物は近世以降の再建である〕残っています。
すぐ近くにある、北向山不動院も応仁の乱で兵火を受けたが、本尊がのこり、本尊の不動明王が王城鎮護のため、北向きに安置された由来によっています。近畿三十六不動尊第22番札所として、北向山不動尊は普通の町中のお寺という印象そのままの質素なお寺です。
今日の寺社データ
①安楽寿院
ブログ公開日
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2020/6/14
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登録番号
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京都撮り歩き(60)
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場所名
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安楽寿院
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魅力メモ ウキペデア
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安楽寿院は、京都市伏見区竹田にある真言宗智山派の寺院。本尊は阿弥陀如来。山号はなし。京都の南に位置した鳥羽離宮の東殿に鳥羽上皇が造営した仏堂を起源とする皇室ゆかりの寺院である。境内に接して鳥羽天皇と近衛天皇の陵がある。
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アクセス・連絡先
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近鉄京都線・京都市営地下鉄烏丸線 竹田駅下車、徒歩数分
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行き先分類
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洛南の寺社
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エリア⑪-1
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東寺から城南宮への道
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足を伸ばして一緒にいかが
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東寺、城南宮、安楽寿院、北向山不動院
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追加エピソード
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鳥羽離宮の各御所には白河上皇および鳥羽上皇によって仏堂が営まれた。最初に造営された南殿に付属した仏堂は証金剛院と呼ばれ、以下、北殿には勝光明院、泉殿には成菩提院、東殿には安楽寿院、田中殿には金剛心院が造営された。鳥羽離宮内の他の御所や仏堂が跡形もなく滅びた中にあって、安楽寿院のみが(建物は近世以降の再建であるが)、21世紀の今日まで法灯を伝えている。境内には大師堂、阿弥陀堂(薬師堂とも)、書院・庫裏などが建つがいずれも近世以降のものである。本尊を安置する阿弥陀堂よりも弘法大師(空海)像を安置する大師堂の方が規模が大きい。
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行事・特別公開
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【京都非公開文化財特別公開】 安楽寿院 拝観は事前の許可が必要
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お勧め建物
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多宝塔、石造五輪塔(重文)
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特殊建物
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多宝塔
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お勧め仏像
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木造阿弥陀如来坐像
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京都観光NAVI
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真言宗智山派。1137年(保延3)鳥羽上皇が鳥羽殿に御堂を建立、阿弥陀三尊像を安置したのに始まる。慶長年間(1596-1615)、豊臣秀頼が復興したが、再び荒廃。現在の庫裡は塔頭前松院であった建物。本尊阿弥陀如来坐像(重文)、石造五輪塔(重文)、絹本着色孔雀明王像(重文)などの文化財を所蔵。建立:1137(保延3)年
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その他情報1
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この建物は安楽寿院西側に現存し、鳥羽天皇安楽寿院陵として宮内庁の管理下にある。一方の新御塔は豊臣秀頼により慶長11年(1606年)多宝塔形式で再建されたものが寺の南側に現存し、近衛天皇安楽寿院南陵としてやはり宮内庁の管理下にある。天皇の陵墓に多宝塔を用いる稀有な例である。
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その他情報2
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いわば天皇のお墓というわけだから、現在は宮内庁の厳重な管理下にあり、柵の中に入ることはできない。もともとは三重塔だったらしく、地震で失われた後、1606年に、豊臣秀頼が多宝塔形式で再建したということである。
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公的案内資料
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②北向山不動院
ブログ公開日
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2020/6/14
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登録番号
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京都撮り歩き(60)
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場所名
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北向山不動院
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魅力メモ ウキペデア
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北向山不動院は、京都市伏見区にある天台宗系の単立寺院。近畿三十六不動尊第22番札所
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アクセス・連絡先
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JR京都駅より近鉄京都線に乗換え、地下鉄と共有の「竹田駅」下車、6番出口を出て徒歩約10分
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行き先分類
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洛南の寺社
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エリア⑪-1
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東寺から城南宮への道
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足を伸ばして一緒にいかが
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東寺、城南宮、安楽寿院、北向山不動院
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追加エピソード
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不動明王を本尊とし、平安京を鎮護する意味もあって不動明王像は北の平安京に向けられている。それによって「北向山」の名が付けられた。現在の本堂は正徳2年(1712年)に霊元天皇によって東山天皇の御殿を移築したものである。鐘楼にかかる梵鐘には済深親王の銘があり、元禄7年(1694年)に名越浄味によって鋳造されたものである。
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特殊建物
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梵鐘
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お勧め仏像
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不動明王像 十二支守り本尊の石仏
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パワースポット
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「一願の護摩」不動明王にその願いを聞いていただける
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京都観光NAVI
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山号は北向山。開山興教大師。本尊は重要文化財で康助作の不動明王。1130年(大治5)、興教大師が鳥羽天皇の病気平癒を祈願した際に不動明王が出現、回復した天皇の勅命により、興教大師が開山した勅願寺で、王城鎮護のため不動明王像は北に向けられていることから、「北向山」の名が起ったといい、お不動さんにその願いをきいていただける、といわれる。現在の本堂は1712年(正徳2)東山天皇の寄進。近畿36不動尊第22番霊場である。境内鐘楼にかかる梵鐘は、二品済深親王のご銘があって、1694年(元禄7年)に名士、名越浄味によって鋳造されたものである。○境内には十二支守り本尊の石仏が安置されている。
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その他情報1
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安楽寿院の西、鳥羽天皇陵を挟んだお隣に北向山不動院はあります。このお寺も鳥羽離宮の一角に創建され平安京を北に望んでいることから国家皇城鎮護、守護を使命に本堂とご本尊不動明王はその名の通り北を向いています。往時の広大な離宮、広大な寺域のイメージは今は昔、町中のお寺という印象そのままのお寺景、
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公的案内資料
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