京都撮り歩き(57)洛西の金閣寺を巡る

 今日の京都撮り歩きは京都で清水寺、伏見稲荷と並ぶ、ベストスポットで、1日1万人以上*の方が訪れる、北山の金閣寺をめぐってみます。15代まで続く室町時代ですが、三代将軍、足利義満の時代には安定した政権となり、中国との勘合貿易で得た富をもとに、ここ北山に文化を育てた。この文化の中心が黄金に輝く、金閣寺といわれています。
 当初は広大な敷地に大伽藍を誇っていたが、現在はこのうち、「舎利殿」が金閣としてが残るのみとなっています。寺の若い僧により「美への嫉妬」から放火され、焼け落ちましたが、現在、江戸初期の改築の建物に寸分違わず、復元されました。三島由紀夫と水上勉のの小説「金閣寺」、「金閣炎上」で詳しくかかれています。
 国宝指定こそ、取り消されたが、今でも集客数は変りません。建物は3層式でそれぞれ、個別名称がありますが、1層は寝殿造り、2層目は書院造り、3層は禅宗様式と時の権力と贅を誇示した作り方です。
金箔の建物が映る、池、夕日や雪を覆われた金閣は幽玄で、まるで、絵葉書の世界です。この金閣は池を巡りながら、色々な角度から見ることが、愉しみの一つで、望遠レンズが必須です。京都に雪が降れば、金閣寺と銀閣寺に写真を撮りに「行こう」はいかがでしょうか。お勧めの撮影ポイントです。(*年間500-600万人)

今日の寺社データ


ブログ公開日
           2020/6/07
登録番号
京都撮り歩き(57)
場所名
金閣寺(鹿苑寺)
魅力メモ ウキペデア
鹿苑寺は、京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺。建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣、舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺として知られる。相国寺の山外塔頭寺院である。 寺名は開基である室町幕府3代将軍足利義満の法号・鹿苑院殿にちなむ。山号は北山。寺紋は五七桐。義満の北山山荘をその死後に寺としたものである。
アクセス・連絡先
交通:京都市営バス「金閣寺道」(1259急行101急行102204205M1号系統)バス停下車徒歩2ほど
行き先分類
洛西の寺社
エリア⑦の1
金閣寺から龍安寺・仁和寺への道
足を伸ばして一緒にいかが
仁和寺、龍安寺、平野神社、わら天神
追加エピソード
昭和25年(1950年)7月2日未明、放火により国宝の舎利殿(金閣)と安置されていた仏像等を焼失(金閣寺放火事件)。文部省文化財保護委員会と京都府教育委員会で協議が行われ、国宝指定の解除と金閣再建の援助が決定された。再建費用として、政府からの補助や全国各地からの寄付により約3000万円(当時)が集められ[11]、昭和27年(1952年)着工、昭和30年(1955年)竣工。同年10月10日に落慶法要が営まれ、創建当時の姿に復元された。
鑑賞ポイント
         池に映る金閣
行事・特別公開
お勧め建物
     金閣,大書院,夕佳亭(せっかてい)
特殊建物
お勧め文化財
お勧め仏像
お勧め絵画
伊藤若冲の障壁画をはじめ、大部分の指定文化財は本山である相国寺が管理しており、承天閣美術館で保管されている。
お勧め庭
鹿苑寺(金閣寺)庭園 - 史蹟名勝天然紀念物保存法(現在の文化財保護法)により大正14年(1925年)10月8日に史跡・名勝に指定。昭和31年(1956年)7月19日に特別史跡・特別名勝に指定.金閣を水面に映す鏡湖池を中心とする池泉回遊式庭園で、国の特別史跡・特別名勝に指定されている。鏡湖池には葦原島、鶴島、亀島などの島々のほか、畠山石、赤松石、細川石などの奇岩名石が数多く配されている。
パワースポット
花暦 花・時期
京都観光NAVI
足利義満が応永4年(1397年)西園寺家の山荘を譲り受け「北山殿」と呼ぶ別邸をおいた。義満の死後、鹿苑寺と名付け、寺とした。北山文化の象徴として国内外に知られる名刹。
金閣は舎利殿として建てられたもの。鏡湖池に臨む三層の楼閣は二層・三層に金箔をはった室町期楼閣建築の代表的例。庭園は特別史跡・特別名勝に指定されている。
三島由紀夫や水上勉(みずかみつとむ)の小説で知られるように、現在の金閣は昭和25年火災で焼失したものを再建したもの
その他情報1
元々この地には、鎌倉時代の1224年(元仁1)に西園寺公経が西園寺を建立し、あわせて山荘「北山第」を営んでいました。鎌倉幕府滅亡直後、時の西園寺家当主・公宗が、後醍醐天皇の暗殺を企てたという容疑で処刑され、西園寺家の膨大な所領と資産は没収されてしまいます。この為、西園寺も次第に修理が及ばず荒れていきました。1397年(応永4)、足利義満が河内国の領地と交換に西園寺を譲り受け、改築と新築により一新。この北山山荘は当時「北山殿」、又は「北山第」と呼ばれており、その規模は御所に匹敵し、当時義満は征夷大将軍を子の義持に譲っていましたが、実権は手放さずに政治中枢を集約、北山殿にあって政務を行っていました。義満の死後、義持によって北山殿は舎利殿を残して解体されますが、義満の遺言により禅寺とされ、義満の法号「鹿苑院太上法皇」から鹿苑寺と名付けられました。夢窓疎石を勧請開山(名目上の開山)としています
その他情報2
金閣の2層と3層は漆の上から純金の箔が張ってあり、屋根は椹の薄い板を何枚も重ねたこけら葺で、上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰が輝いています。1層は寝殿造で法水院、2層は武家造で潮音洞、3層は中国風の禅宗仏殿造で究竟頂とよばれ、三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物です。京の四閣・京の五閣は京の三閣と言われる金閣寺(鹿苑寺)の金閣・銀閣寺(慈照寺)の銀閣・西本願寺(本願寺)の飛雲閣に大徳寺の塔頭・芳春院(ほうしゅんいん)の呑湖閣(どんこかく)、更に東福寺の伝衣閣(でんねかく)を加えたものを言います。なお京の四閣は金閣・銀閣・飛雲閣・呑湖閣、京の五閣は金閣・銀閣・飛雲閣・呑湖閣・伝衣閣です。
公的案内資料



参道から入ると、こちらが世界遺産金閣鹿苑寺の総門です。
奥に受付・入場門があります。スライドをご覧ください。

通用門を入ると正面に「鏡湖池」があります。
こちら佇まいもじっくりご覧ください。

こちらが「金閣」です。おすきなカメラアングルで写真をお撮りください。
三層目の金色の「花頭窓」、鳳凰もじっくり、ご覧ください。

裏側あたりで撮りました。人の多い時は難しいアングルです。
下から「法水院」、「潮音洞」、「究竟頂」となります。

「書院と方丈」です。うっかり、通りすぎる建物でしょうか
ここ書院の襖絵、ルートの名水の湧き水、
金閣寺垣などはスライドをご覧ください。

「夕佳亭」です。江戸時代初期の茶室で、この辺りからも金閣が臨めます。
帰りに、抹茶をいただいて、金閣寺を離れましょう。

            

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