京都撮り歩き(87)東山山麓の智恩院を巡る

 今日の京都撮り歩きは京都の人に「ちおんいんさん」で親しまれています。お寺です。智恩院は浄土宗を開いた、法然ゆかりの寺で、浄土宗の総本山です。法然は当時の新興宗教の一つで、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで救われるという教えでで広く、都中に広まったそうです。

延暦寺の旧宗教から、敵対視され、多くの迫害を受け、法然も天皇の怒りにも触れ、讃岐に流されたこともあったとある。戦乱で一時荒廃したが、信長・秀吉の時代の寄進により伽藍が整備された。

徳川家康が法然を深く崇拝したことにより、徳川家の菩提寺となった。現在ある建物は、江戸時代以降に建てられた。寺というより、前線基地の城塞の体をなしている。京都御所を監視する目的である国宝の「三門 (日本最大木造建築物)」、御影堂、鐘も巨大で、圧倒されます。一説によると、二条城まで、地下道があるとのこと。何を意図してつくったのでしょうか。

いくつか、これまでのお寺にない、設備があり、「智恩院」の「七不思議」として、今も語られています*。筆者も宗旨は「浄土宗」ですので、関西に戻ってすぐにお参りした記憶があります。当時は改修工事中で、有名な方丈と庭の見学は失念しており、いずれ、再度、訪れる予定のお寺です。智恩院「七不思議」については、調べておきましたので、一読ください。

智恩院の詳しい資料は次がお勧めです。

イ、京都各別な寺 智恩院の成り立ち 宮本著

ロ、京都の空間意匠 三門の構造 清水著

ハ、京都の門 三門の構造 京都新聞社編

①今日の寺社データ

ブログ公開日 2020/9/20

登録番号 京都撮り歩き(46)

場所名 知恩院

魅力メモ ウキペデア 知恩院は、京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院。山号は華頂山。詳名は華頂山知恩教院大谷寺。本尊は法然上人像および阿弥陀如来、開基は法然である。 浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。

アクセス・連絡先 京都市営地下鉄東西線東山駅(T10)下車、1番出入口(階段のみ)より徒歩約10分、京阪電気鉄道京阪本線祇園四条駅、または阪急電鉄京都本線京都河原町駅より徒歩約20分

行き先分類 東山山麓の寺社、

エリア③-1

知恩院と八坂神社周辺散歩

足を伸ばして一緒にいかが 知恩院、青蓮院、八坂神社

追加エピソード 徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。なお他流で門跡に当たる当主住職を、知恩院では浄土門主(もんす)と呼ぶ。

鑑賞ポイント 知恩院の七不思議

行事・特別公開 法然上人御祥当法要(1月25日)法然の命日に行われる法要。遺言の「一枚起請文」が読み上げられる。

お勧め建物 下の表を参照ください。

特殊建物 下の表を参照ください。

お勧め文化財 絵画、書跡は京都および奈良の国立博物館に寄託されている。

お勧め仏像

お勧め絵画 紙本著色法然上人絵伝48巻(国宝)-鎌倉時代の絵巻。絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図(国宝)-鎌倉時代の仏画。通称「早来迎(はやらいこう

お勧め庭 "方丈庭園 江戸時代初期の寛永10年(1633年)に作庭が始まる。南庭と北庭で構成される。京都市指定名勝。友禅苑 宮崎友禅ゆかりの回遊式庭園。方丈庭園は江戸時代初期に小堀遠州と縁のある僧玉淵によって作庭されたと伝えられる庭園です。池泉庭園で、方丈の華麗な建築と背後に迫る東山の風光とともに、情緒あふれる美しい風景を醸しだしています 

友禅苑は友禅染の始祖宮崎友禅生誕300年を記念して、昭和29年に改修造園されました。

東山の湧き水を引き入れた庭園と枯山水の庭園とで構成された昭和の名園です。

苑内には裏千家ゆかりの茶室「華麓庵」と当山第86世中村康隆猊下の白寿を記念して移築された茶室「白寿庵」があり、深い緑のなかで日本の心を表した名園にふさわしい風情を添えています。"

パワースポット

花暦 花・時期

京都観光NAVI 知恩院は、宗祖法然上人が1175(承安五)年、吉水の地に草庵を結ばれたことを起源とし、入寂された遺跡に建つ浄土宗の総本山。第二世源智上人により基礎が築かれ、徳川家康、秀忠、家光らの外護により現在の壮大な伽藍が形成された。境内には、国宝の御影堂や三門、重要文化財の勢至堂、集会堂(法然上人御堂)、大方丈、小方丈、経蔵、唐門、大鐘楼など文化財指定建造物が建ち並ぶ。三門は1621(元和七)年に徳川秀忠によって建立された我が国最大級の木造二重門。法然上人の像(御影)を安置する御影堂は、1639(寛永十六)年に再建された中心的堂宇で、2011年から8年間にわたる半解体修理が行われている。紙本著色法然上人絵伝(四十八巻)、絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図、上宮聖徳法王帝説(いずれも国宝)など多数の文化財を蔵する

その他情報1 三門は1621(元和七)年に徳川秀忠によって建立された我が国最大級の木造二重門。法然上人の像(御影)を安置する御影堂は、1639(寛永十六)年に再建された中心的堂宇で、2011年から8年間にわたる半解体修理が行われている。紙本著色法然上人絵伝(四十八巻)、絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図、上宮聖徳法王帝説(いずれも国宝)など多数の文化財を蔵する

公的案内資料 https://www.chion-in.or.jp/

②知恩院の建築物

    国宝

本堂(御影堂)(附:歩廊) 

三門   

重要文化財

大方丈(附:玄関及び歩廊)

小方丈(附:歩廊)

集會堂(しゅえどう)(附:玄関)

大庫裏(おおぐり)(附:歩廊及び玄関)- 雪香殿とも称する。

小庫裏(こぐり)(附:歩廊)

唐門

大鐘楼

経蔵

勢至堂

③知恩院の七不思議  (いくつかスライドに収めています。)

3-1.曲者の侵入を知らせる「鴬張りの廊下」

御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に通じる、全長550メートルの長い渡り廊下があります。この廊下は歩くと鶯の鳴き声に似た音がし、静かに歩こうとするほど音が出るようになっているので「忍び返し」とも言われてます。これは不審者の曲者が侵入した際に知らせる役割と、鶯の鳴き声が「法(ホー)聞けよ(ケキョ)」と聞こえることから、仏様の法を聞く思いがするそうです

3-2.三門楼上に安置される「白木の棺」

三門楼上に安置されている2つの棺。

中には家光から三門造営の命を受け建築した五味金右衛門(ごみきんえもん)夫婦の自作の像が安置されています。五味金右衛門は三門を造営しましたが、工事予算を大幅に超えてしまったため、責任をとって自刃したと言われています。白木の棺は夫妻の菩提を弔うために作られたものです。

3-3.骨だけの傘「忘れ傘」

御影堂の軒裏にある骨だけになった傘。

この傘には、当時の名工である左甚五郎が置いていったという説と、知恩院第32世の雄誉霊巌上人が御影堂建立時に、この辺に住んでいた白狐が自分の住むところがなくなってしまうと訴え、新しい住まいを作ってくれたお礼に置いていったという2つの説があります。

3-4.雀が襖から飛び立った抜け雀」

大方丈の菊の間にある襖絵を見てください。

これは狩野信政が描きましたが、以前は紅白の菊の上に数羽の雀が描かれていたそうです。

しかしあまりにも巧みに描かれていたため、雀は命を受け飛び立ったと言われています。

3-5.どこから見ても目が合う「三方正面真向の猫」

方丈の廊下にある杉戸に描かれた猫。

狩野信政が描いたもので、どの方向から見ても猫と目が合うのでこう呼ばれています。

その猫の下には子猫が描かれており、親が子を思う心、つまり訪れた人を見守ってくださる仏様の慈悲を表しているそうです。

3-6.大坂夏の陣で大活躍大杓子」

大方丈の入口付近の天井にある大杓子。

長さ2.5メートル、重さ30キログラムもするもので、伝説では三好清海入道が大坂夏の陣の時にこの大杓子を武器にして使ったとか、この大杓子で兵士の御飯をすくって振舞ったとか言われています。

すくうはすべての人々を救いとるということから、この知恩院に置かれたそうです。

3-7.多くの逸話を残す「瓜生石」

黒門への登り口にある大きな石が瓜生石。

この石にはたくさんの逸話があり、誰も植えてた覚えがないのに瓜が実った説、八坂神社の牛頭天王がこの石に降臨したら瓜が生えた説、石を掘ると二条城まで続く抜け道がある説、隕石が落ちた場所だという説など多くのいわれが残る不思議な石です。この石は知恩院創建前からあったそうです

智恩院全景です。上が青蓮院門跡、下が八坂神社となります。

国宝の三門です。2階建で、木造としては日本一です。

御影堂です。改修工事中で、見学の制限がありました。
詳細はスライドをご覧ください。

堂内の渡り廊下の一部です。堂内詳細はスライドをご覧ください。


         



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