京都撮り歩き(37)大原の寂光院を巡る

 今日の「京都撮り歩き」は昨日に続き、京都の奥座敷、大原の寂光院をご案内します。この寺は、ひっそり、女性の寂しさを語り継がれる尼寺です。三千院と異なり、のどかな、農村風景が残る中に、ぽっつんと建っているお寺です。 地元の人も、薄幸の建礼門院を偲んで、訪ねてくれた観光客への接し方も「良く訪ねてくれました」という感じでしょうか、石段を登ると、寂光院の門が出てまいります。
 小さい庵の風情です、落ち着いた庭に佇むことができます。源平の争い、壇ノ浦の戦で清盛の娘である、平徳子が子供の安徳天皇と入水し、助けられた、後、世間から隠棲した寺とあります。元はもっと古い時代に建てられたようです。
 最近、消失した、本堂は淀殿が本願主として、片桐旦元が荒廃した堂宇を建て直したしたが、平成の世に放火で焼け落ちた。薄幸の続く寺です。焼けた、六万体地蔵尊は見事に再生されております。
 この辺りで獲れた野菜を市中に売りに行く女性が「大原女」と呼ばれる土地であります。元は建礼門院に使えた侍女のスタイルを模したようです。不憫に思う、土地の女性が獲れた野菜を差し入れ「しば漬」にして、保存食にしたのも、建礼門院が始めたとあります。
「大原女」と「しば漬」については、京阪電鉄HPの「おけいはん 京都通のススメ」を参考までに記しておきますので、参照ください。帰りは、来た道をもどり、京都市内にもどるため、大原バス停に戻ります。事前に時間を確かめておいた方がよろしいでしょうか。
 八瀬叡山駅から、叡山電鉄で出町柳に戻る方法もありますが、上手くバスが、京都市内の京都駅や三条駅行きでしたら、そのまま、行かれることもよろしいでしょう。八瀬叡山駅から、ケーブルカーを乗り継いで、比叡山延暦寺へ行くこともできます。(運行時期は要チェック) 来週は叡山電鉄沿線の修学院離宮、詩仙堂、曼殊院をご案内する予定です。どうか、コロナが落ち着いてから、お出かけください。
     
        おけいはん 「京都通のススメ」より
  
今日の寺社のデータ

   
ブログ公開日
2020/4/12
登録番号
京都撮り歩き(37)
場所名
寂光院
魅力メモ ウキペデア
寂光院、京都市左京区大原にある天台宗寺院尼寺。山号清香山する。寺号玉泉寺。本尊六万体地蔵菩薩。開基聖徳太子わる。平清盛建礼門院徳子、平家滅亡後隠棲したであり、『平家物語』ゆかりのとしてられている
アクセス・連絡先
京都バス「大原」バス停から徒歩15分。(なお、徒歩12分の所に「寂光院道」バス停があるが、バスは春分の日に1本だけ(1年に1本)しかない)
行き先分類
洛北の寺社
エリア②-3
八瀬から大原の里へむかう
足を伸ばして一緒にいかが
三千院、来迎院、勝林院、寂光院
追加エピソード
寂光院の草創について明確な事はわかっていない。寺伝では推古天皇2年(594年)、聖徳太子が父・用明天皇の菩提のため開創したとされる。当初の名称は玉泉寺で太子の乳母であった玉照姫(恵善尼)が初代住職であるという。しかし、江戸時代の地誌には空海開基説(『都名所図会』)、11世紀末に大原に隠棲し大原声明を完成させた融通念仏の祖・良忍が開いたとの説(『京羽二重』)もある。現在、寂光院はそうした草創伝説よりも、『平家物語』に登場する建礼門院隠棲のゆかりの地として知られている。現在、当院では史料がなく詳細が分からないため、建礼門院に仕えて後に出家し、当院の住持をしていた阿波内侍(信西の息女、証道比丘尼)を第2代の住職としている。阿波内侍は「大原女」のモデルとされる。
鑑賞ポイント
天台宗の尼寺で、594年(推古2)聖徳太子の創建と伝える。平家滅亡後の1185年(文治1)平清盛の娘 建礼門院が入寺、仏門の生涯を送ったことで知られる。平成12年5月9日の火災で本堂全焼、平成17年6月再建された。旧本堂は桃山時代の様式からなり、内陣に飛鳥、藤原様式を残していた。旧本尊(重要文化財)も火災によって大きく焼損したが像内の納入品は無事であった。宝物殿に一部が展示されている。境内は、『平家物語』の「潅頂の巻」、「大原御幸」に描写されている。
行事・特別公開
しば漬の日(寂光院でしば漬の新漬けを振る舞い)9月21日〜24日
お勧め建物
平成12年5月9日の火災で本堂全焼、平成17年6月再建された
特殊建物
諸行無常の鐘楼
お勧め文化財
お勧め仏像
旧本尊・六万体地蔵尊
お勧め絵画
お勧め庭
四方正面の池、汀の池、雪見燈籠
パワースポット
花暦 花・時期
汀の桜、初夏のつつじ、紅葉
京都観光NAVI
天台宗の尼寺で、山号は清香山、寺号は玉泉寺という。推古二年(五九四)に、聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立したと伝えられる。初代住職は、聖徳太子の御乳人であった玉照姫で、その後、代々貴族の姫君らが法燈を伝えてきた。 文治元年(一一八五)九月、平清盛の息女、高倉天皇の皇后である建礼門院徳子が、壇ノ浦で平家一門と小・安徳天皇の菩提を弔うため出家、入寺し、終生をこの寺で過ごした。それ以来、御閑居御所、また、高倉大原宮とも称されている。翌文治二年(一一八六)、後白河法皇が御幸したことは、平家物語や謡曲で有名な大原御幸としてしれれている。 旧本堂は、内陣及び柱が飛鳥様式、藤原時代及び平家物語当時の様式、また外陣は桃山様式で、慶長八年(一六〇三)に豊臣秀頼が修理したという歴史的に貴重なものであったが、平成一二年(二〇〇〇)五月九日の火災により全焼し、その姿は永遠に惜しまれるものとなった。ともに焼損した聖徳太子の作と伝えられる旧本尊・六万体地蔵尊は重要文化財の指定が継続されているが、損傷が激しいため、収納庫に安置されている。現在の本堂及び本尊は平成十七年(二〇〇五)六月に焼損前のものを基に忠実に復元されたものである。
その他情報1

聖徳太子が推古2年に建立された古刹。その後、建礼門院(けんれいもんいん)が隠妻されて平家一門の菩提をここで弔った。『平家物語』の大原御幸で名高い新緑と紅葉のころの石段参道も美しい。寂光院は京都3大漬け物のひとつ「しば漬」の発祥の地としても知られる。その昔、建礼門院に使えた阿波の内侍(あわのないじ)が里人から献上された野菜を大原の赤しそを用いて漬け物にしたことが始まりと言われている。
その他情報2
公的案内資料



このような、のどかな農村の中に「寂光院」はあります。

      


細い道を折れ、階段を登ると門前にでます。
内部詳細はスライドをご覧ください。



「汀の池」の庭です。静かな佇まいで、しばし、くつろげます。




焼け落ちた本堂が再建されています。





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