京都撮り歩き(72)京都元離宮二条城を巡る

 今日の京都撮り歩きは世界遺産の元離宮二条城をご案内します。京都で有数の観光スポットで、多くの外国の方が訪れます。アクセスは地下鉄東西線の二条城駅が便利ですが、東西の本願寺を観ながら、堀川通リ沿いを歩くのも良いのではないでしょうか。この、二条城は見所が満載ですので、見落としがないよう、事前に予備知識を得てからご覧いただくことをお勧めします。
 二条城には桃山時代の文化遺産が結集しています。建物としての、二の丸御殿、本丸御殿、御殿内の襖絵、欄間彫刻、唐門、櫓門、特別名勝の二の丸庭園、清流園等々。一般的な城普請と異なり、将軍上洛時の居城として、設計、朝廷と公家・諸侯に威光を示す、目的で作られたとあります。
 徳川幕府は始まりと終わり(15代慶喜の大政奉還)をこの城で迎えたことになります。家康・秀忠・家光の三代が上洛時に利用したが、政治の拠点は江戸でした、朝廷と公家の動静を監視する目的で作られたとも言われています。秀忠の娘は後水尾天皇の中宮となり、後水尾天皇の行幸のため、大改修をしました、このときの五層の天守閣は火災や地震で倒壊し、そのごは、移設された本丸御殿が残ります。尚、二の丸の金箔地の襖絵は模写壁画です。本物は収蔵館にあります部分的に常時公開されています。また、本丸御殿は9月の特別公開時のみ内覧できます。
 随分、写真を撮りましたが、ほんの一部しか、紹介できません。ご容赦ください。いくつか、撮り忘れたものは、グーグルの画像より、拝借しました。

 二条城離宮の見所を次の通り、資料により整理してみました。配置はHP案内図を参照ください。
 ①二条城の建物配置と歴史 本丸と二の丸御殿に付随する建築物と庭園
    a),本丸:本丸櫓門、本丸御殿、天守閣跡
    b),二の丸御殿:唐門、雁行配置の建築物
     車寄、遠侍、式台の間(老中の間)、大広間(一から四の間)、蘇鉄の間、黒書院、白書院)
     中宮御殿跡、行幸御殿跡(二の丸庭園を愉しむ視点)
    c),二の丸庭園:3つの視点(イ、黒書院 ロ、一の間、ハ、南側)から、二の丸庭園を見る
 ②二の丸御殿の意匠と襖絵(3000枚内1016面が重文)狩野派絵師の手による
     a),唐門:極彩色の彫刻を施された四脚門
     b),車寄、遠侍:入母屋檜皮葺の屋根(唐破風つき〕欄間の彫刻、襖絵(竹・虎図)
     c),大広間:一の間、二の間、三の間、四の間の目的と天井と内部の意匠、襖絵(松孔雀、松鷹図)
     d),黒書院、白書院:将軍のプライベート空間の意匠、襖絵(山水画、雲中竹雀図、菊扇面図)

③ 二条城の9つの門
1 二の丸御殿唐門    5.桃山門      9.西門
いずれも重要文化財
2、東大手門       6.本丸櫓門
   (筆者好み)
3.北大手門       7.北中仕切門
4、鳴子門        8.南中仕切門
  *参考資料
   ①原色日本の美術 ⑫城と書院 小学館 (非常に詳しい。お勧め)
   ②京の門 京都新聞出版センター編
   ③京都名庭園 水野克比古著
   ④京都の文化財 淡交社編集局
   ⑤京都の空間意匠(雁行配置)清水著 

今日の寺社データ

ブログ公開日
2020/7/26
登録番号
京都撮り歩き(72)
場所名
離宮二条城(二条離宮)
魅力メモ ウキペデア
二条城(にじょうじょう)は、京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある、江戸時代に造営された日本の城。正式名称は元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)。京都市街の中にある平城で、足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏によるものがあるが、現在見られるものは徳川氏によるものである。また、後の近代において二条城は京都府の府庁や皇室の離宮として使用された
アクセス・連絡先
地下鉄「二条城前駅」下車すぐ
行き先分類
エリア番号④-1
東西本願寺周辺を歩く
二条城(二条離宮)
足を伸ばして一緒にいかが
二条城(二条離宮)・神泉苑・東本願寺・西本願寺・渉成院
追加エピソード
城内全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿(6棟)が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に「古都京都の文化財」として登録されている。
鑑賞ポイント
行事・特別公開
お勧め建物
唐門、二の丸御殿(国宝)
特殊建物
展示収蔵館 唐門以下9つの重要文化財の門
お勧め文化財
お勧め仏像
お勧め絵画
狩野派の襖絵
お勧め庭
特別名勝 二の丸庭園(池泉回遊式)、本丸庭園、清流苑
パワースポット
花暦 花・時期
桜、椿、紅葉
京都観光NAVI
慶長8(1603)年、徳川家康によって建てられ、数々の歴史の舞台になってきた二条城。3代家光が増築を行い、寛永3(1626)年に現在の規模になった。東西約600メートル、南北約400メートルに塁を築き堀をめぐらす。重厚なたたずまいの「東大手門」(重要文化財)、「松竹梅に鶴」「唐獅子」といった極彩色の彫刻が見事な唐門(重要文化財)、二の丸庭園(特別名勝)や本丸御殿(重要文化財・現在修理工事中)など、見どころ多数。大政奉還の場となった二の丸御殿(国宝)では、鴬(うぐいす)張りの廊下や、狩野派絵師の手による障壁画にも注目を。
その他情報1
京都が誇る世界遺産二条城は1603年(慶長8年)に徳川家康が上洛した際の宿泊所として築城されました。徳川幕府の終わりを告げる大政奉還が二条城で表明されたということは有名ですが、徳川家康が征夷大将軍に任命された際、重臣や公家衆などを招いて盛大に祝賀の儀を行ったのもここ二条城。つまり江戸時代の終焉だけでなく幕開けの場でもあったのです。そして三代将軍家光の頃には後水尾天皇が二条城へ行幸。5日間にも渡る壮大な行幸は徳川家の隆盛を天下に知らしめました。このように二条城は江戸時代の幕開け、絶頂期、そして終焉を見届けてきたのです。
その他情報2
1611年(慶長16年)には二条城二の丸御殿で徳川家康と豊臣秀頼が会見を持ちます。この時、秀頼の成長ぶりに驚いた家康は豊臣氏を滅ぼす決意をしたとされています。いわば大阪の陣のきっかけとなった場所とも言えるでしょう。江戸中期の逸話・見聞集である「明良洪範(めいりょうこうはん)」には秀頼の身長が6尺5寸、体重は43貫と記されています。これを今の数字に直すと196cm160kg!とんでもない巨漢だったとされ、そこから発するカリスマ性にも家康は恐れたと言われています。
公的案内資料

「二条城離宮」苑内案内図です。二の丸庭園の撮影ポイントもあります。
ゆっくり、巡って見ましょう。本物の襖絵は資料館です。忘れずに

「東大手門」です。堀川沿いにある、正門で、ここから入ります。
二条城には9つの門があります。門巡りも愉しいです。

「唐門」です。唐破風の四脚門です。最近、修理が終わり、
見事な極彩色の欄間彫刻に目を奪われます。
大臣以上の格式でないと、立てられません。

「車寄・遠侍」です。車寄は牛車がそのまま、入れる設計、
後ろが遠侍(勅使の間)で、家康が秀頼と対面した場所。
唐破風、入母屋造檜皮葺きで、欄間の彫刻が見事。

「二の丸御殿」の一部です。雁行した建物で武家書院造りの代表、
3300m2、部屋数33、畳800枚、3000面以上の襖絵があります。

「二の丸庭園」です、特別名勝です。昨日の神泉苑の湧き水を利用した庭園
小堀遠州作庭。撮影ポイントがいくつかあります。

「東南隅櫓」です。外堀を1周するのも素敵です。
左側が神泉苑です。地下鉄降りると、この櫓が登場します。

本丸御殿です。前は本丸庭園、内部は特別公開時のみ
「天守台跡」から、本丸御殿を遠望

「清流苑と香雲亭」です。
昭和の庭園ですが、美しい苑です。

                     

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