京都撮り歩き(81)東山山麓の南禅寺を巡る

 今日の京都撮り歩きは「京都五山*之上」の格式のある、大寺の南禅寺をご案内します。昨日の永観堂から、5分足らずですが、いくつかの塔頭も同時に見るときは、地下鉄東西線の蹴上駅から、別荘群を通り、徒歩で10分ほどで行くことが可能です。広大な敷地に中には見学可能な塔頭もあります。南禅寺の詳細については下の資料**をお勧めします。時間を割いて、必ず、有名な庭園をもつ、金地院、天授庵、南禅院の塔頭群を訪れてください。
 さて、本寺のほうですが、見学可能な場所としては、勅使門、三門、方丈、水路閣ですが、国の名勝の大方丈の庭、小方丈の重要文化財の襖絵は、見逃すことはできません。山門へ登ると京都市内が一望できます。筆者は登っていませんが、歌舞伎の石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」をご確認ください。武家信仰が篤い寺で「南禅寺の武家面」と呼ばれています。
 大小の方丈はいずれも他から移設されたものですが、大方丈は国宝に指定されています。大方丈の「虎の子渡しの庭」の枯山水の石組の妙をご確認ください。小方丈の襖絵「竹林群虎図」も見所の一つです。歩き疲れたら、受け付け付近の部屋で庭を見ながらお茶をいただけ小休止できます。お勧めです。なお、南禅寺塔頭の金地院、天授庵、南禅院については次回にご案内します。すぐ近くにある、琵琶湖疏水を引き込み、東山借景で有名な山形有朋の別荘、無鄰菴も合わせて、巡ってください。

*京都五山 (いずれも臨済宗の禅集寺院)
 京都の天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺(東福寺の塔頭)

**南禅寺関連の参考資料
  ①京都格別な寺 宮本著
  ②京都名庭を歩く 宮本著
   ③京都の空間意匠 清水著
      ④京都名庭園   水野著
  ⑤京都・観光文化検定試験テキスト他
  ⑥京都図鑑 JTB編

今日の寺社データ

ブログ公開日         2020/8/30
登録番号京都撮り歩き(81)
場所名南禅寺
魅力メモ ウキペデア南禅寺は、京都市左京区にある臨済宗南禅寺派大本山の寺院。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺である。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつ。
アクセス・連絡先蹴上駅(京都市営地下鉄 東西線)下車。1号出口から徒歩5分京都市営バス5系統「南禅寺・永観堂道」バス停下車徒歩8分
行き先分類東山山麓の寺社
エリア①-1
南禅寺から銀閣寺への道
足を伸ばして一緒にいかが南禅寺、金地院、天授庵、南禅院、無鄰菴 永観堂     
追加エピソード建武元年(1334年)、後醍醐天皇は南禅寺を五山の第一としたが、至徳3年(1385年)に足利義満は自らの建立した相国寺を五山の第一とするために南禅寺を「別格」として五山のさらに上に位置づけ、京都五山と鎌倉五山に分割した。
鑑賞ポイント伽藍、方丈、庭園は下記
行事・特別公開
お勧め建物伽藍、方丈、庭園は下記
特殊建物勅使門、三門、法堂、方丈の伽藍が一直線
お勧め文化財伽藍、方丈、庭園は下記
お勧め仏像
お勧め絵画小方丈の襖絵、狩野探幽筆「水呑の虎」は名高い
お勧め庭大方丈の前庭(名勝)は伝小堀遠州作で「虎の子渡し」
パワースポット湯豆腐は南禅寺周辺参道の精進料理が起源
花暦 花・時期
京都観光NAVI臨済宗南禅寺派の本山。1291年(正応4)亀山法皇の離宮を賜り、無関普門(大明国師)が開山。室町時代は隆盛を極め、「五山之上」に列せられた。応仁の乱で焼失した伽藍を‘黒衣の宰相’といわれた以心崇伝によって復興。境内には勅使門、三門、法堂、方丈の伽藍が一直線に、その周辺に12の塔頭が並ぶ。三門(重文)は、藤堂高虎の寄進。方丈(国宝)は、大方丈と小方丈に分かれ、大方丈は御所の殿舎を、小方丈は、伏見城殿舎を移築したと伝えられる。小方丈の襖絵、狩野探幽筆「水呑の虎」は名高い。大方丈の前庭(名勝)は伝小堀遠州作で「虎の子渡し」と呼ばれ、江戸初期の代表的な枯山水庭園として知られる。建立:1291(正応4)年
その他情報1法堂の南側にある南禅院へ向かう途中、レンガ造りの建築物が見えてきます。ドラマや映画のロケでもおなじみの水路閣は、琵琶湖の湖水を京都市内に引く「琵琶湖疏水」のために明治23(1890)年に建てられました。
その他情報2三門の楼上への入り口は、法堂側にあります。歌舞伎「楼門五三桐」で、石川五右衛門がこの三門からの景色をみて「絶景かな、絶景かな」と見得を切るのはあまりに有名です。パーンと開けた景色が撮影できる三門中央や、建物を画角に収めつつ撮影できる角がおすすめのフォトスポットです。
公的案内資料http://www.nanzen.net/

南禅寺建物見所勅使門
寛永18年(1641年)、御所の日ノ御門を移築したものという。
法堂
慶長11年(1606年)に完成したが[7]、明治28年(1895年)にこたつの火の不始末で焼失した後、明治42年(1909年)に再建されたもの。
三門
歴史を感じさせる三門の柱歌舞伎の『楼門五三桐』(さんもんごさんのきり)の二幕目返しで石川五右衛門が「絶景かな!絶景かな!」という名科白を廻す「南禅寺山門」がこれである。ただし実際の三門は五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628年)の再建。
方丈
方丈(国宝)
国宝である[8]。大方丈と小方丈からなる。大方丈は慶長度の御所建て替えに際し、天正年間建設の旧御所の建物を下賜されたもの。「旧御所清涼殿を移築した」とする資料が多いが、清涼殿ではなく女院御所の対面御殿を移築したものである。接続して建つ小方丈は寛永年間の建築とされる。
仏間を除く各室に桃山時代、狩野派の障壁画があり、計124面(附指定4面を含む)が重要文化財に指定されている。
小方丈の障壁画は狩野探幽の作と伝えられるが、作風上からは数名の絵師による作と推測されている。名勝に指定されている方丈前の枯山水庭園は小堀遠州作といわれ、「虎の子渡しの庭」の通称がある


南禅寺全景です。いくつか塔頭の場所もご確認ください。

こちらが’絶景かな’の「三門」です。禅宗伽藍配置は
勅使門から、一列に伽藍が並びます。

臨済宗の法堂の天井に龍があります。
「虎の子渡し」大方丈の前の庭です。小堀遠州の作庭といわれています。
方丈内は別途スライドをごらんください。

狩野探幽筆「水呑の虎」」です。小方丈に数多くの襖絵があります。別途スライドをごらんください


南禅寺「水路閣」です。琵琶湖疏水の水路で現在も使用されています。
この水は蹴上発電所に流れます。
哲学の道の疎水は南禅寺の手前で分流しています。




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