京都撮り歩き(105)洛北の大徳寺を巡る

 今日の京都撮り歩きは洛北の大徳寺をご案内いたします。大徳寺は紫野と呼ばれる、地名にある、塔頭を22箇所もつ、臨済宗の古刹の一つです。本坊でも特別公開日しか、入れない寺院です。四箇所の塔頭のみが、常時公開されています。臨済宗では大徳寺の「茶ずら」が有名で、茶道とのつながりが多い寺です。ここの大徳寺の塔頭群は見所の多い、名庭がありますので、今後も、ゆっくり、巡ってみる予定です。

元は京都五山の1位にありましたが、足利尊氏の室町幕府の成立とともに、尊氏が帰依した、夢窓礎石と、大徳寺を創建した妙趣と間の対立があり、京都五山の9位にされた。このため、権力を離れ、「林下」し、禅宗本来の姿になったとされている。

 いくつかの戦乱で堂宇も焼け、47代一休禅師の頃になって、ようやく、復興を遂げた。一休は堺の商人の寄進を受けた。堺の商人は一休禅師の自由奔放さに気に入り、彼らの中から、茶道との密接な結びつきが、始まった。山門の2階建に寄進した、千利休もその一人ですが、自分の木像を2階に置いたため、関白、秀吉の逆鱗に触れ、切腹されたともある。 ここの塔頭の一つ聚光寺に利休の墓標があり、現在、茶道千家の菩提寺となっている。

 誅殺された、織田信長に替わり、天下を取った豊臣秀吉はここの塔頭の総見院にて、信長の盛大な葬儀を行った。秀吉の天下になると、多くの武将が寄進し、塔頭が増え、大徳寺の寺勢がました。現在の大徳寺の塔頭群は秀吉の勢いによる、といわれています。

特別公開日以外は、境内のみが見られますが、日程を調整して、是非、本坊をご覧ください。大徳寺の見所は、庫裏の東にある、大方丈(国宝)、枯山水の庭園(特別名勝)、前庭の唐門(聚楽第から移設)は国宝の門で、日暮の門といわれ、見事な彫刻が施されている。法堂天井の「鳴き龍」の絵、方丈の襖絵(84面)は一見の価値があります。しかし、山門の上部は硬く、閉ざされています。今回は小早川隆景の菩提寺の黄梅院も特別公開ついでに、訪れました。関西に移り住んですぐに訪れた、大仙院については写真が行方不明ににつき、今回は省略しておきます。

大徳寺と塔頭群です。黄梅院は入り口近くです。
ここ塔頭群の散策は空間意匠に魅力の多い場所で、時間を割く必要があります。


今日の寺社データ

①大徳寺本坊



「山門(金毛閣)」です。上の層が増設され、
利休の木像があったとされています。中は非公開


「法堂内部」と鳴き龍です。詳細はスライドをご覧ください。

方丈前庭園です。正面が唐門

国宝の唐門です。聚楽第からの遺構です。HPから借用

②黄梅院



苔が素晴らしい黄梅院の入り口です。詳細はスライドをご覧ください。


書院前の枯山水の庭園です。

書院と前庭です。庫裏は工事中でした。




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