京都撮り歩き(54)上賀茂、社家町から太田神社を巡る

 今日の京都撮り歩きは昨日の上賀茂神社から、少し足を延ばして、社家町から太田神社を巡ってみます。せっかく、上賀茂神社まで、こられたら、こちらも、10数分で行くことができます。忘れずにいかがでしょうか。 どちらも、上賀茂神社に関係がある所です。
 太田神社は建設された時代は上賀茂神社よりも古いですが、現在では摂社*の一つとなっています。山際にひっそりと鎮座する、神社ですが、「大田の沢」に咲く、杜若は有名で、国の天然記念物に指定されています。ここを訪れる時期はこの頃に限りますが、鄙びた雰囲気を持つ魅力を愉しむひとにはお勧めの場所です。昔から、山裾の結界に位置する神社です。
 社家町は上賀茂神社の神官の住む町で「ならの小川」が町に出て、「明神川」となり、古くは、ここ「社家町」に住む人の庭に引き込まれていたようです。今でも、住宅の前面に流れる水の風情は独特で、撮影スポットとして、お勧めの場所です。西村家のお庭は必見に値すると資料にあり、いきましたが、生憎、冬場は閉鎖中で、見学できませんでした。スライドには西村家のお庭の写真を他のHPより拝借して、入れておきました。
 京都は水を生かした町並みが素敵で南禅寺界隈、高瀬川、白川辺り**の風景も、お勧めの撮影スポットといえます。次回は「きぬかけの路」の金閣寺、龍安寺、仁和寺を巡ります。

  *本社に付属し、その祭神と縁の深い神を祭った社(やしろ)。格式は末社より上位
  **大田神社、社家町についてお勧めの資料
    ①京都の空間意匠 清水著 光文社新書
      大田神社 山裾の結界(分けて繋ぐ)
      社家町  共有財産としての水(水を生かす)

①今日の寺社データ(大田神社)

ブログ公開日
           2020・5・31
登録番号
京都撮り歩き(54)
場所名
大田神社
魅力メモ ウキペデア
大田神社は、京都府京都市北区上賀茂本山にある神社。式内社で、現在は賀茂別雷神社の境外摂社。古くは「恩多社」とも。 上賀茂神社の東約500メートルの地に鎮座する。 
アクセス・連絡先
市バス上賀茂神社前より徒歩10分 地下鉄「北大路」「北山」駅より車で約15分
行き先分類
洛北野寺社
エリア⑨-4
上賀茂神社・西上賀茂周辺を歩く
足を伸ばして一緒にいかが
上賀茂神社、大田神社、社家町
パワースポット
蛇の枕(中央下部の石)鳥居前に架かる石橋右側下の水面から、小さな石が顔をのぞかせている。この石は「蛇の枕」または「雨石」と呼ばれ、蛇が枕にしていたと伝える。蛇は雨を降らせる生き物とされ、この蛇がいる枕のもとに行けば、雨乞いができると考えられた。儀礼は、この枕石を農具(鉄器)などで叩いて行われる。こうすることで、枕を叩かれた蛇が怒って雨を降らせるという
花暦 花・時期
カキツバタの野生群落5月上旬の開花時
京都観光NAVI
上賀茂神社の摂社で天鈿女命(あめのうずめのみこと)をまつる。境内の大田の沢にはカキツバタの野生群落(天然記念物)があり、藤原俊成の歌にもよまれ、すでに平安時代には有名であった。5月上旬の開花時には参詣人と観賞者でにぎわう。
その他情報1
大田神社は上賀茂神社の摂社ですが、起源は上賀茂神社よりも古く上賀茂では最古の神社と言われています。平安時代の保安元年には鳥羽天皇が大田神社に来宮され、それ以来天皇家や貴族の信仰を厚く受けられています。大田神社は4月10日と11月10日に例祭が行われます。また、1月5月9月のそれぞれ10日に御内儀祈願祭が行われ、国家・皇室の繁栄、天皇・皇后両陛下の御身体の御安泰を祈念されます。
その他情報2
御祭神として天鈿女命(あめのうずめ)が祀られています。天鈿女命を御祭神とされている神社の多くは、芸能の神として信仰されています。
公的案内資料

②今日の寺社データ(社家町)

登録番号
京都撮り歩き(54)
場所名
社家町
魅力メモ ウキペデア
社家(しゃけ)とは、日本の身分のひとつ。代々特定神社の奉祀を世襲してきた家(氏族)のことである。身分制度としては明治維新により廃止されたが、地方の神社はその後も旧社家が世襲を続けているケースが多い。社家は奉職する神社の近くに家を構えることが多く、社家の家が集まった所は「社家町(しゃけまち)」と呼ばれた。現代日本において「社家町」「社家」という地名は各地にあり、その多くはかつて社家町があった場所である
アクセス・連絡先
市バス上賀茂・御薗橋より徒歩5分 地下鉄「北大路」「北山」駅より車で約5分
行き先分類
洛北野寺社
エリア⑨-4
上賀茂神社・西上賀茂周辺を歩く
足を伸ばして一緒にいかが
上賀茂神社、大田神社、社家町、(西村邸)
追加エピソード
明治4年(1871年)の太政官布告により神社は一人一家の私にすべきものではないとの精神から神官世襲制が廃止されたが、実際には官国幣社にとどまり、地方ではその後も旧社家の世襲が続いている。また社家の中でも特に名家として知られた伊勢神宮の藤波家や河辺氏、出雲大社の千家家や北島氏、熱田大宮司の千秋家、住吉大社の津守氏など14家が華族に列した
鑑賞ポイント
明神川に架かる土橋、川沿いの土塀や門、
お勧め庭
西村邸  庭園
京都観光NAVI
京都市北部の上賀茂神社の東にあり、室町時代より発展した門前集落である。上賀茂神社から流れ出る明神川沿いに、神官の屋敷である社家が連続し、社家町を形成している。主屋は敷地に奥まって建ち、切妻造・平家建・妻入の特色ある形態を備える。主屋とこれを囲む土塀、庭園、門、明神川にかかる土橋等が、独特の歴史的風致を構成している
その他情報1
神主さんなど神職(社家)の住宅が集まる町の事。神職は仕える神社のすぐ側に家を構える事が多く、特に大きな神社ともなると数多くの社家住宅が建ち並び、社家町が形成されているのです。とはいえ、かつては数多く存在していた社家町も、現在はそのほとんどが失われてしまい、まとまった規模で残るところは極々わずか。そのような中、上賀茂神社の社家町は昔ながらの社家住宅が連なる町並みとして国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。しかも全国で唯一「社家町」という名目での選定を受けた、まさにオンリーワンの町並みと言えるでしょう。
その他情報2
上賀茂神社の周辺では、室町時代から神官の屋敷町として町なみがつくられました。江戸時代には、275軒ほどありましたが、明治4年に神職の世襲が廃止されると、激減し、現在は20軒ほどになっています。全国に社家町は存在しますが、この規模で現存しているものは、ほとんどありません明神川に架かる土橋、川沿いの土塀や門、土塀ごしの庭のみどり・・・これらが一体となって貴重な社家の景観を伝えている珍しい風景です。。

山裾の結界に位置する、大田神社です。
右側に大田の沢「杜若の群生」があります。
咲いている状況はスライドでご覧ください。

意匠的には本殿が参道の線より、少しずれている。
向かい合う燈篭配置が素晴らしい
写真奥が上賀茂神社 社を出ると、川は「明神川」となります。

水を生かした町並みで、絵になる、撮影スポットです。
西村邸はこの並びにあります。



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